コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

朗読者 | ベルンハルト・シュリンク(新潮社)

話題になったのはもう15年ほど前?はじめの方で読み捨てて長い事寝かせていた本を、最近また手に取って今度はちゃんと読み終えた。
とても頑なだけど根底に優しさのある作品で、この感動を伝えたいのにうまく伝えられそうにない。

朗読者 (新潮文庫)

朗読者 (新潮文庫)

15歳のミヒャエルと36歳のハンナの恋が突然プツリと終わりを告げて、裁判が始まった瞬間からが加速度的にこの物語が動き始める。裁判で次第に明らかになるのは謎だらけのハンナの過去だけではない。
彼女の文盲を、裁判の過程でミヒャエルは知る。

不利な証言と嘘っぱちの裁判証拠を突きつけられて限りなく冤罪を含めた(彼女は無罪ではない)重罪に傾いていくハンナ。ハンナについて知っている事実を裁判官に知らせるべきか、知らせぬべきか、ミヒャエルは悩む。悩みながら、彼は結局裁判官のところへ赴くが、ハンナについては何も伝えない。

彼女に計算や策略はなかった。自分が裁きを受けることには同意していたが、ただそのうえ文盲のことまで露顕するのは望んでいなかったのだ。彼女は自分の利益を追求したのではなく、自分にとっての真実と正義のために闘ったのだ。彼女はいつもちょっぴり自分を偽っていたし、完全に率直でもなく、自分を出そうともしなかったから、それはみすぼらしい真実であり、みそぼらしい正義ではあるのだが、それでも彼女自身の真実と正義であり、その闘いは彼女の闘いだった。
彼女は疲れ切っていたに違いない。彼女は裁判で闘っていただけではなかった。彼女は常に闘ってきたのだ。何ができるかを見せるためではなく、何ができないかを隠すために。彼女の人生では、出発は大きな後退を、勝利は密かな敗北を意味していた。

ハンナの闘いを彼は知っているから、伝えられなかった。正義感よりも愛が勝った。私はそう思った。たとえミヒャエルが否定しようと。

ハンナに無期懲役が決定し、しばらくしてミヒャエルは自身が朗読したテープを刑務所へ送るようになる。テープを送り始めて4年目にハンナから手紙が届く。

「彼女は書ける、書けるようになったんだ!」

全体的に寡黙で、暗闇が続いていくようなこの作品の中で、唯一明るく光が灯った瞬間。この一言を読んで、どっと感動が押し寄せてきた。彼女はこれまでしてきた闘いとは別れを告げて、全く別の闘いを始めた。ハンナの勇気に、強い気持ちに胸が詰まった。
けれどミヒャエルは一度もハンナに返事を書かなかった。ハンナは彼の手紙をずっと待ち続けていたけれど。

ハンナが釈放されると決まり、ミヒャエルが引き取ることになる。出所前夜、電話での会話の後、ふと気づく。

刑務所で再会したハンナは、ベンチの上の老人になっていた。彼女は老人のような外見で、老人のような匂いがした。あのときのぼくは、ぜんぜん彼女の声に注意していなかった。彼女の声は、まったく若いときのままだったのだ。

ミヒャエルがどうだったかはわからないけれど、ハンナはまだミヒャエルを愛していた。ミヒャエルに字を書ける喜びを知らせたかったし、ミヒャエルと言葉を交わしたかった。でもそれはかなわなかった。

この愛は悲劇かといえば違う。ボタンのかけ違いもない。ひとつの静謐な愛の形だ。確かに悲しいけれど、お互いの気持ちが指の先の届かないところで繋がって続いた愛の形だ。
ミヒャエルがハンナの死後にハンナの遺産を寄付して、一度だけ墓参りに行った。それでいいと思う。私は十分だと思う。

いかないで、巻き戻しして

私が「cero」の名を知ったのは今年に入ってから。 YouTubeの「あなたへのおすすめ」に何の予告もなく飛び込んできて、気がつけば「あなたへのおすすめ」を占領されてた。PVの雰囲気的に、たぶん私の好きな系統だとピンと来たんだけど、でもその時はそっち系の音楽を聴きたくなかった。どうしても。

それが、一昨日とかその前の日くらいに、ふと思い立って聴いてみたら、このタイミングでハマってしまって。
実際聴いてみると、想像してたよりもずっと骨太な感じ。ceroの世界観が私の中にぐんぐん入って来て、今はもう完全にリフレイン状態ですよ。こんな体験は久しぶり。

一番好きな曲はこれ。
cero - Contemporary Tokyo Cruise

いかないで 光よ
わたしたちはここにいます
巻き戻しして


「なんだこの曲は!」と衝撃を受けてネットを徘徊してみたら、この記事を発見。「あまちゃん」にこの曲の類似性を見る。確かに似てる。

私は震災とは遠いところで、今日何度もこの曲を聴きながら「巻き戻しして」と願ってました。
ガセだという方がいる一方で、一般紙の記者たちが続々とRTするTLを眺めながら。

めぐり逢わせのお弁当(2013年 / インド・フランス・ドイツ)

風の噂で存在は知ってた作品。友人の家で、友人のパソコンで観た。始まって数分で目はパソコンにくぎ付け。久しぶりに映画を観て、映画への飢餓感が一時的に満たされたことと、思いもよらない良作だったことが、思いのほか凄く自分を興奮させた。やっぱり人生にエンタメは必要だ。エンタメなしじゃ生きられない。

映画は、インド独特(ムンバイ特有?)のお弁当配達システムで、ある家族のお弁当が全くの他人に誤配達されたことによって始まる淡い恋。
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誤配達されたお弁当を食べる側であるサージャンの、亡くなった妻への郷愁が募っている手紙が読まれるときと、夜の自宅のバルコニーで煙草をふかしながら隣家の家庭の団欒を眺める横顔が映し出されたとき、鷲掴みされたように胸が苦しくなった。

イラの孤独よりも、サージャンの孤独の方が深く暗い。それは家族のいない寂しさであり、友人・同僚とは付き合いの薄い寂しさでもあり、老いを自覚し始めた寂しさでもある。イラも夫との不和に苦しんでるけど、彼女には娘がいるし、母がいる。夫が寝たきりの、上階に住む相談相手のマダムもいる。そして、まだ若い。
この孤独に私は一人で向きあえるか、映画を観ながら自問自答した。自分には無理だとは思いながら、一方で自分が迎える実際の未来にも思えた。私はサージャンよりもイラの年齢なのだけれど、私には夫も娘もいないからサージャンに感情移入してしまったのかな。

私があなたとブータンに行けたらよいのに

サージャンがイラに書いた手紙の返信。国民総幸福量という考え方を採用しているブータンに行きたいと、イラがサージャンに書いたから。現代化の進んだインド人も、もはや先進国では癒されない。近くて遠い国ブータンに思いを馳せて、かの地の幸せをうらやむ。

寂しさに起因する孤独はもはやグローバルで、今やどこにいても、誰もがみな似たような孤独を抱えてる。アメリカ映画にもヨーロッパ映画にも中国映画にもその姿を見たことはあったけれど、インドのムンバイにもグローバルな孤独がやって来たんだ、と思ったら、また世界は少し狭くなった気がした。
似たものを抱えてるからこそ、心の琴線に触れてしまって、この作品を私は手を握りしめながら観た。イラにももちろんだけど、イラよりもサージャンにより暖かな光が差してほしいって、そう思いながら。

めぐり逢わせのお弁当
2013年 / インド・フランス・ドイツ
原題:Dabba、英題:The Lunchbox
監督:リテーシュ・バトラ
出演:イルファーン・カーン、ニムラト・カウル

めぐり逢わせのお弁当 DVD

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キアロスタミ死去の報

お酒を飲むと、どうして人は饒舌になるのか。べらべら喋ってることに自覚的で、自分でも心底うんざりしてるんだけど、赤い靴履いてしまったカーレンみたいに踊り狂うように喋ってしまうよ。そろそろ自重しないとね。

とか夜中に呟こうとしてたら、突然飛び込んできたアッバス・キアロスタミ死去の報。

桜桃の味」観よう観ようと思いながら、まだ観てない。「風が吹くまま」も。

桜桃の味 [DVD]

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風が吹くまま [DVD]

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「友だちのうちはどこ?」は観た。記憶はだいぶおぼろげだけど、いい映画だった。それだけは覚えてる。
友だちのうちはどこ? [DVD]

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世界が平和でなければ

今週はビックリするようなニュースが次々に飛び込んできて、少し息が止まる感じよ。

火曜日夜にトルコの国際空港でテロ。土曜日は朝起きたらバングラのカフェで襲撃事件。
トルコの空港は過去二回利用していて、9月にも利用する予定だった。実はテロ発生の翌日に知人がその空港を利用して日本へ帰国予定だったけど、フライトを急きょ変更した。
バングラには知人がいて、みな首都ダッカにいる。人質に日本人、という文字を見た時点で背筋が凍った。犠牲になったのは知人ではなかったけれど、やり切れない思いが果てしなく募る。何年か前のアルジェリア事件を想起したのは多分私だけではないはず。

ここ数年で私と世界の距離は以前より縮まった。世界各地で起こるテロがいつの間にか他人ごとではなくなりつつある。こんがらがった糸をほどくのは容易でない。私は祈ることしかできないけれど、果たして祈りが何になるのか。虚無感の方が先に立って、今はただ立ち尽くすしかない。

前半戦終了

7月が始まった。今年も半分が過ぎ去ってしまった。
早いか、遅いか、で言ったら、やっぱり早いよ。この調子で後半も時が過ぎて、気がつけばあっという間に年末なんだろうか。それが待ち遠しい私は、生きることに軽薄なのかな。

今日の私の一曲。


Это не шутки, мы встретились в маршрутке
これは冗談じゃないの、私たちマルシュルートカ*1で出会ったの
Под номером один, едем и молчим
1番線に乗って、行きましょう、内緒にしましょう

*1:ロシアやウクライナなど、旧ソ連圏諸国でよく見られる、乗合タクシーに似た小型の乗合バス