コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

100歳から始まる人生

二週間くらい前にみたこのドキュメンタリーがまだ私の胸の中をざわつかせる。

www6.nhk.or.jp

このドキュメンタリーの主役、ダグニーは90歳を過ぎてからパソコンを購入し、ブログを始めたのは100歳のとき。ブログに載せる写真にもこだわりがあり、フォロワー数は50万人を突破した。話題の人ということでダグニーはテレビにも出る。
ダグニーの活動はブログだけにとどまらない。「死ぬまでにもう一度ダンスをしたい」と出会い系サイトで男探しをする姿は真剣そのもの。
このドキュメンタリーが撮影された101歳時点で、少し年下のお年寄りたちに市民講座でパソコンも教えている。

100歳を過ぎてもアグレッシブな姿に惹かれた訳じゃない。実際、ダウニーは元気いっぱいというよりは、マイペースでのほほんとした人柄。
私が強烈に印象に残ったのは、100歳を過ぎても過去の悲しい思い出は消えないということ。自分へのコンプレックスも消えないということ。恋する瞬間のドキドキは色あせないということ。

ダウニーは今も子供時代の母との切ない思い出や、一人目の旦那との結婚生活を昨日のことのように覚えている。そんな過去も抱きしめて生きている。 「私が綺麗だったことはない」と鏡を見ながらつぶやく姿や、恋が始まりそうなときの表情は、少女そのもの。89歳のボーイフレンドとは出会ってすぐにメールアドレスを渡すけど、彼はパソコンができないから返事は来ない。代わりに来たのは電話。はじめてのデートはダグニーの家で。89歳と101歳がモシャモシャとケーキを食べる姿は尊いと思った。恋する気持ちはいくつになっても変わらない。

ダグニーを突き動かしてるのは、尽きない好奇心と天性の素直さ、そして寂しさだと思う。肉体は衰えるけど、精神は衰えない。 いくつになろうが悲しさや寂しさからは解き放たれない。それでも自分次第で新しい世界にチャレンジし続けることができる。そう思えたドキュメンタリーだった。

訃報

小林麻央のことを最初に凄いなと思ったのは、あの海老蔵と結婚した時。
次に凄いと思ったのは結婚後に海老蔵が刑事沙汰のトラブルを起こした際も、怒らず責めず、あのやんちゃな暴れん坊を静かに諭したと知った時。
そして、最後に凄いなと思ったのは、がん闘病中だと公表した時。
彼女は私と同い年。
「若いから可哀想」と本人は思われたくなかったようだけど、まだまだ人生は続いていくと信じていたはず。10年後20年後、家族とともにありたい未来もあったと思う。
そう考えると、やはり、どうしようもなく今日の訃報は胸が詰まるのである。

10月から12月に観た映画を一気に振り返る

何かもうブログとか書くテンションではないんだけどね。映画録と読書録だけは残しときたい。業ですかね。性ですかね。
カッコ内は観た日付です。

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パーマネント野ばら(10/18)

西原のマンガを映像化した作品て私的につまんないのが多いんだけど(「ぼくんち」とか)、これは面白かった。原作読んでないのが良かったのかな。主役の菅野美穂にもスッと入っていけたし。
傷つきまくって痛めつけられ続ける女たちは相変わらずの西原ワールドだけど、なおこのラストにはビックリした。カシマさんの掴みどころのなさと独特の冷たさに私泣きそうだったけど、そういうことだったの。狭い小さな島世界で、なおこは一人追い詰められてたの。えーなおこ、ちょっと待って、ねえなおこなおこ!っていうラストだった。女は男を諦められない。

パーマネント野ばら
2010年 / 日本
監督:吉田大八
出演:菅野美穂池脇千鶴小池栄子

パーマネント野ばら [DVD]

パーマネント野ばら [DVD]


ハドソン川の奇跡(10/19)

イーストウッドの最高級作品と言われてるけど、実際にそうなのだと思う。
筋はシンプルだし、抑制された演出で感情に過剰に訴えて来ることはない。それでもラストへ近づくにつれて迫ってくる静かな感動は何なのか。
自分の愛しい人たちが無事だった安堵感もある。仕事への責任とプライドから来る感情もある。でも何よりも私のハートを動かしたのは、誰かからの絶対的な信頼感、それを確かめられた安心感だった気がする。ラストは、人間の尊厳を認められたような尊い感情が胸に迫ってきて、うまく言葉が見つからなかった。

ハドソン川の奇跡
2016年 / アメリカ
原題:Sully
監督:クリント・イーストウッド
出演:トム・ハンクスアーロン・エッカート


永い言い訳(10/26)

観る前は、本木雅弘とか深津絵里に泣かされるのかと思ってたけど、まさかのまさか、竹原ピストルの息子である真平くんに大いに泣かされたのだった。
大人の都合に振り回されながら、悲しい切ない辛い苦しい感情を上手く表現できない真平。真平が唯一本音を話せる相手は本木演じる幸夫くんなのに、その幸夫くんさえも失ってしまって真平の行き場がなくなっていくのを見るのが辛い。幸夫がグダグダに潰れていくのは自業自得だし大人だから何とでもなる。陽一も然り。でも子どもが追い詰められてくのはしんどい。

浜辺に父の陽一(竹原ピストル)、幸夫、妹の灯と一緒に遊びに行った夏の昼下がり、テントを片付けながら、母親が死んでも泣かなかったことを父に責められたことを幸夫にポロリとこぼす真平。

お母さんが死んで、ぼく、平気じゃなかったよ。

真平と同じようにうまく感情を表せない幸夫は、真平をよく理解できる。この二人の関係性。幸夫も真平と接することで、自分の傷を癒したんだと思う。そして、私もそっち側の人間だから、言えない気持ち・言えなかった気持ちが私の中で沢山湧き上がって来て、私にも幸夫が必要だと思った。真平みたいに「平気じゃなかった」ってこぼせる人が欲しいと思った。

家族とか血縁で閉じこもらない、外の人間を交えた新しい関係性の構築もこの作品の見所。この人たちには必然のカタチだったからだけど、陽一と幸夫の男2人が子育てに奮闘する姿は新鮮だった。他人に頼りながら、お互いを支え合いながら生きて行く姿に、乾杯したかった。

永い言い訳
2016年 / 日本
監督:西川美和
出演:本木雅弘、竹原ピストル、深津絵里

永い言い訳 (文春文庫)

永い言い訳 (文春文庫)


ハッピー・アワー(10/29)

5時間20分という上映時間にまず怯む。観れるかな観きれるかなーという不安と闘いながら映画館のシートに着席したけど、杞憂だった。むしろこの映画の世界に浸ってしまうと5時間が短く感じたから不思議。もっともっとこの世界にいたかったし、彼女らのその後を一緒に体感したかった。

登場するのは37歳の女性4人。既婚3人バツイチ1人。なんだか身に迫ってくる設定なんだけど、そこはとりあえず置いといて。
何が面白いのか具体的に説明するのは難しい。でもこの作品、男3人の共作の脚本でかなりリアルに女たちの揺れる感情を描き切ってるところが凄いと思う。女同士の秘密とか、打ち明ける線引きとか、どんなに仲が良くても絶対的に超えられない境界線があって、その設定ラインがすごくリアルだった。
30代後半になって、女たちはそれぞれがそれぞれの葛藤と問題を抱えて、ひとり踏ん張りながら戦っている。弱いところは見せられない。でも脆さを支えてくれる友情に助けられる。優しさだけじゃなくて時に辛辣な物言いが交わされながらも、女同士の繋がりの何と強固なことよ。結局、みんな共犯関係なのよね。 この関係性を物語に収めたことが凄い。
見返したいけど、今すぐは無理だな。もう少し私の人生が進んだら、絶対に見返したい作品。

ハッピーアワー
2015年 / 日本
監督:濱口竜介
出演:田中幸恵、菊池葉月、三原麻衣子、川村りら

カメラの前で演じること

カメラの前で演じること

NOBODY ISSUE44 特集:濱口竜介『ハッピーアワー』

NOBODY ISSUE44 特集:濱口竜介『ハッピーアワー』


この世界の片隅に(12/1)

はじめは「戦争映画かー」と思って全然観る気なかったんだけど、評判がどんどん高まっていくのを見て観に行ってしまった。
2時間の枠にこれでもか!というほどのエピソードが詰め込まれてて、且つかなりのスピード感で展開していくから、よっぽど集中してみないと色々見逃すほどの濃密さ。実際、すずの妊娠間違いとか私見逃してるし。ほのぼのしてるように見せかけて集中力が必要ですこの作品は。
感想は?と言われると、実は少し時間が経ってしまって残念ながら私の中で色んな激情が色褪せつつある。見終った直後は興奮して言葉で上手く表現できないほどに圧倒されたんだけども。なんでだろう。巷に色んな評論&感想が出回ってて、それを読むにつけ、自分の中にあった感情がどんどん平坦になっていって言葉も失われてしまった感じ。読まなきゃよかったかも。
戦争とすずの立ち位置は私にはわからない。すずはどちらかというとだいぶ呑気に生きて来て、だからこそのイチ市民の生活や幸せが垣間見れたんだと思うんだけど、すずのあの甘い感じに「うん?」と思う自分もいた訳ですよ。でも物語の中盤、残酷だけど彼女が右手失って、やっとバランスが保てた気がした。現実を知るというか、あの境目があってやっと彼女を真正面から見れる感じ。別にそれまでのすずも嫌いじゃないけど。好きだけど。
あと、すずと哲との関係も。終戦後、生きている哲を見かけても彼女は声をかけない。すずは完全に大人になって分別がついて、がっちりと線を引く。強い。 能年玲奈(敢えてこう書く)の声、良かったなぁ。

この世界の片隅に
2016年 / 日本
監督:片渕須直
出演:のん、細谷佳正尾身美詞

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)


レナードの朝(12/21)

お涙頂戴の雰囲気が駄々漏れで、敢えて手に取ってこなかった作品。この前BSプレミアムで放送してたから観た。でなきゃ観なかった。でも観て良かった。本当にそう思った。
筋としては「アルジャーノンに花束を」的な感じ?両者の違いは、こちらが実話をもとにした作品であること。驚きを隠せない。
長らく精神病院で植物状態だったロバート・デ・ニーロ演じるレナードが、ある薬の投薬をきっかけに機能を回復する。身体を自由に操れるし、思考の働きも取り戻す。会話もできるようになる。歩き回る。歌う。そして、恋もする。だけれども。
名作が名作かどうかを分けるのは、名シーンがあるか否かだと思う。この作品を100人が観たときに、印象に残った場面としてたぶん100人がダンスシーンを上げると思う。レナードとレナードが恋をした女の子とのダンスシーンは、この作品のハイライト。やっと手に入れたはずの自分の人生が、無情にも再び奪われようとしている恐怖と悔しさ。既にまともではない自分を好きな女性に見せなければいけない悲しさ。そして、もう会えないと恋の終わりを自分で設定しようとするレナードの強さと厳しさ、切なさ。そっと一緒にダンスを踊ってくれた彼女とのシーンは宝物のよう。レナードはここで一瞬救われたけれど、この運命の不条理に歯痒さしかない。誰も悪くない。レナードは誰も責めずに、ひたすらに自分と闘っている。食堂で彼女別れた後、レナードは去りゆく彼女を鉄格子の付いた窓から見送る。彼は泣きもしない。運命を受け入れようとしてる。その姿に胸がつぶれる。彼の代わりに私が叫びだしたいくらい。

私、10代20代の時に観てたら、この女の子の気持ちは分かんなかったかも知れない。レナードには同情するけど、どうしてあの子は一緒に彼とダンスを踊れたのかって思ったかもしれない。あの頃は他人に愛情を与えられるほど大人じゃなかったし、すごく自分本位の恋愛しかしてなかった気がするから。でも今は、私あの女の子の気持ちが凄くわかる。同情じゃないよ。ちゃんと愛を持って彼女はレナードとダンスをしているよ。彼女がレナードを愛おしいと感じて、ちゃんと彼を受け止めてダンスしてる気持ちが伝わってくるよ。この一瞬のお互いの愛の深さに、私はすごく、すごくグッと来たの。

レナードの朝
1990年 / アメリカ
原題:Awakenings
監督:ペニー・マーシャル
出演:ロバート・デ・ニーロロビン・ウィリアムズ


ソーシャルネットワーク(12/22)

Facebookが何だよって思って観てなかった作品。今は私もFacebookユーザーです。
Facebook創業者たちのイザコザ、泥仕合なんて全く持って興味なかったんだけど、これが面白かった。
結局袂を分かつけど、この作品はマーク・ザッカーバーグとエドゥアルド・サベリンの友情物語じゃん。表情豊かで感情を上手に表現するエドゥアルドと何考えてるのかわからないエンジニア気質のマーク。対照的な二人。裁判になって双方の意見陳述が行われる局面でも彼らの本当のところの信頼関係が揺らいでないのがわかる場面は、驚きというか清々しささえ感じた。じゃあ何で別れるんだって話だけど、常に決定的な場面でタイミングがずれ続けていた二人の必然的な帰結とも言える。望んだ結果じゃない。なんかSMAPの解散物語みたい(真実は知らんけど)。
信頼していた人間がひとりふたりと去って、ラストの場面で元カノのエリカに友だち申請するマークが滑稽だけど超絶に人間臭くて。承認を早く確認したくて更新ボタン連打する姿もまた泣けて、たぶん観客はみんなこのマークを嫌いになれない。

ソーシャル・ネットワーク
2010年 / アメリカ
原題:The Social Network
監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ジェシー・アイゼンバーグアンドリュー・ガーフィールドジャスティン・ティンバーレイク


明日からもう9月かよ、と思いながら「水星」を聴く

明日から9月。私の長い長い夏休みが終わろうとしている。
寂しいのか嬉しいのか、まだわからない。ただ時の流れに静かに今は身を任せたい。それが本音。

遅くて、もう遅すぎて情けないけれど、今さら知ったこの曲。いい曲だよな。
このPV可愛い。神戸なのね。仮谷せいらって松岡茉優に似てない?もしくは川島海荷

昼過ぎ新宿でも行こうか
ハウスの新譜チェック体ゆらしな

リアルな地名の出る歌が好き。

ミラーボール抱えて踊り続けるしかない。とりあえずどこまでも行くしかない。とどまれない哀しみって超現代的だなって思う。でも仕方ないのよね、もう。この時代の電車に乗って生きてるんだもん。

君がまだ知らぬ夜があり
僕がまだ知らぬ朝がある
娘は夜な夜な家出して
息子はまだまだ夢を見てる
あの子が気になる動画の中
あと少しだから臆病になる
止まってないで転がって踊れ
喋ってない絵の中 動くまで


これはPVに出てた仮谷せいらが歌ってるバージョン。私は実は原曲よりもこっちが好き。
仮谷せいらの素朴な歌声が胸を締め付けるのはなぜだ。エフェクトがかけられてない声はか細くて頼りなくて、より一層この歌の現実感が原曲より増しちゃってる気がするんだけど。でも二本足で立ってる感もあって、不安と勇気が湧き上がってくるような不思議な感覚。


DAOKOのバージョンもいい。
MVはどこで撮ってんだろ?横浜ブルーラインが出てるから一部横浜かな?
こっちは歌詞がより刹那的。tofubeatsとDAOKOは年代的に10も離れてないと思うんだけど、この歌詞の世界観の違いは何よ。これ男女の差じゃないと思う。

太陽が照らす小田急線内
あの子の中じゃ今もまだ圏外
恋愛 縁無い やっぱ焦んない
携帯からのミュージック安定剤
気になるBOYは今夜どこに
たしかにパチパチ弾けた音
明日には忘れちゃうのかな
私が知らない夜はどこ?
あなたの知ってる朝が見たい
あの子は朝までクラブイベント
あいつは昼間も夢の中

明日は来る。とにかく私も踊り続けるしかない。そんな心持ちで迎える私の9月。

ジュバンドーニのショートパンツ

えーと、そろそろ良いパンツを身に着けたいお年頃。
ユニクロは数年前に一度試したけど生地と履き心地がイマイチだし、ワコールとかトリンプ系はデザインがレース!または肌色黒色シンプル!の二択だし、tutuannaが一番好きなんだけどそろそろ私の年齢が……。

ブラはまー別で見つけるからいいのよ。ブラは結構どうにでもなるのよ。
でもパンツはさ、やっぱデリケートなところを包むんだから素材には少しこだわりたいし、当然かわいいデザインじゃなきゃヤダ。

そんな中見つけた、ジュバンドーニのショートパンツ。良さげじゃない?
生地はオーガニックコットンで、ゴムの代わりにリブを使って。
色はパープル×ピンクもグレー×グレー、どっちもいい!
f:id:towaco:20160831000403j:plain
帰国したら早速買って試したい。

jubandooni.thebase.in

朗読者 | ベルンハルト・シュリンク(新潮社)

話題になったのはもう15年ほど前?はじめの方で読み捨てて長い事寝かせていた本を、最近また手に取って今度はちゃんと読み終えた。
とても頑なだけど根底に優しさのある作品で、この感動を伝えたいのにうまく伝えられそうにない。

朗読者 (新潮文庫)

朗読者 (新潮文庫)

15歳のミヒャエルと36歳のハンナの恋が突然プツリと終わりを告げて、裁判が始まった瞬間からが加速度的にこの物語が動き始める。裁判で次第に明らかになるのは謎だらけのハンナの過去だけではない。
彼女の文盲を、裁判の過程でミヒャエルは知る。

不利な証言と嘘っぱちの裁判証拠を突きつけられて限りなく冤罪を含めた(彼女は無罪ではない)重罪に傾いていくハンナ。ハンナについて知っている事実を裁判官に知らせるべきか、知らせぬべきか、ミヒャエルは悩む。悩みながら、彼は結局裁判官のところへ赴くが、ハンナについては何も伝えない。

彼女に計算や策略はなかった。自分が裁きを受けることには同意していたが、ただそのうえ文盲のことまで露顕するのは望んでいなかったのだ。彼女は自分の利益を追求したのではなく、自分にとっての真実と正義のために闘ったのだ。彼女はいつもちょっぴり自分を偽っていたし、完全に率直でもなく、自分を出そうともしなかったから、それはみすぼらしい真実であり、みそぼらしい正義ではあるのだが、それでも彼女自身の真実と正義であり、その闘いは彼女の闘いだった。
彼女は疲れ切っていたに違いない。彼女は裁判で闘っていただけではなかった。彼女は常に闘ってきたのだ。何ができるかを見せるためではなく、何ができないかを隠すために。彼女の人生では、出発は大きな後退を、勝利は密かな敗北を意味していた。

ハンナの闘いを彼は知っているから、伝えられなかった。正義感よりも愛が勝った。私はそう思った。たとえミヒャエルが否定しようと。

ハンナに無期懲役が決定し、しばらくしてミヒャエルは自身が朗読したテープを刑務所へ送るようになる。テープを送り始めて4年目にハンナから手紙が届く。

「彼女は書ける、書けるようになったんだ!」

全体的に寡黙で、暗闇が続いていくようなこの作品の中で、唯一明るく光が灯った瞬間。この一言を読んで、どっと感動が押し寄せてきた。彼女はこれまでしてきた闘いとは別れを告げて、全く別の闘いを始めた。ハンナの勇気に、強い気持ちに胸が詰まった。
けれどミヒャエルは一度もハンナに返事を書かなかった。ハンナは彼の手紙をずっと待ち続けていたけれど。

ハンナが釈放されると決まり、ミヒャエルが引き取ることになる。出所前夜、電話での会話の後、ふと気づく。

刑務所で再会したハンナは、ベンチの上の老人になっていた。彼女は老人のような外見で、老人のような匂いがした。あのときのぼくは、ぜんぜん彼女の声に注意していなかった。彼女の声は、まったく若いときのままだったのだ。

ミヒャエルがどうだったかはわからないけれど、ハンナはまだミヒャエルを愛していた。ミヒャエルに字を書ける喜びを知らせたかったし、ミヒャエルと言葉を交わしたかった。でもそれはかなわなかった。

この愛は悲劇かといえば違う。ボタンのかけ違いもない。ひとつの静謐な愛の形だ。確かに悲しいけれど、お互いの気持ちが指の先の届かないところで繋がって続いた愛の形だ。
ミヒャエルがハンナの死後にハンナの遺産を寄付して、一度だけ墓参りに行った。それでいいと思う。私は十分だと思う。