コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

グレート・ギャッツビー | フランシス・スコットフィッツジェラルド(中央公論新社)

児童書のようなサイズの愛蔵版。
どっしりとした重みと文字の大きさに、言いようのない安心感がある。
本そのものに対するデザインも読書の醍醐味。本を読むしあわせが増幅する。

愛蔵版 グレート・ギャツビー

愛蔵版 グレート・ギャツビー

「狂乱の20年代」と言われる、第一次世界大戦後と世界恐慌の狭間の時代に書かれた作品。舞台はNY。
都会に出てきたばかりのニックが語り手。

ぼくはニューヨークが好きになり始めていた。
<中略>
この魅惑的な大都市の黄昏どきに、ときおりそこはかとない孤独を感じることもあった。

都会に魅力を感じながらも、同時に街が作り出す淋しさもニックは感じ取っている。
人々が楽しそうに華やかに行き交う一方で、自分はその中の一人ではない。そんな切なさを、地方から出てきた私も幾度となく横浜や東京に感じたことがある。90年前にするりと書かれたこの感情は、いまの世界にも通じている。
この作品で私が一番印象深かったのは、まさにこの部分。都会の孤独の質が変わらない。
ニックは終盤、結局これは「西部」の物語であったと言っている。主な登場人物たちはみな西部出身で、東部に出てきてそれぞれ傷ついた。 好景気に沸いていたNYで、知らぬ間に。

ギャッツビーという人間が次第に明らかになるにつれ、私の脳裏をかすめたのは水村美笛「本格小説」に登場する東太郎だった。こちらは「嵐が丘」を題材に書かれているのでギャッツビーとは全く関係ないんだけど、似てる。 過去への純粋なまでの執着、圧倒的な財力、切ない夢の終わり。

私がここ半年余りの間に強烈にアメリカに関心を持ち始めたのは、たまたま観たアメリカ映画の中にちらりと見えた、彼らのデリケートさに惹かれたから。 自信があるようで、ないような。 ギャッツビーがまさに体現している。

一番自分にとって良いタイミングで、私はこの作品を読んだ。

本格小説 上

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本格小説 下

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