コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

はるか戦火を逃れて | 中屋敷郁子(講談社)

今さらなんだけど「戦争広告代理店」を読んで、久しぶりにユーゴ紛争へ関心が向いた。

ボスニアサラエボ、どっちが国名でどっちが都市名かわからなくなるような体たらくなんだけど、あのときのニュース映像を思い出すと脊髄反射的に思い出すのは、ユーゴ紛争真っ只中の難民キャンプから助けられた日本人女性のことだったりする。
子ども3人を連れて帰国した岩手の女性で、印象的だったのは記者会見でのたどたどしい日本語。
異国に長くいると母国語であっても忘れるのか・・・、と当時小学生だった私はすごく驚いた記憶がある。

ふと思い立って彼女のことを調べてみたら、あっさり見つかった。
帰国して1年ほど(1996年)で本を出されていたようで。
近所の図書館から早速借りてきて読んだ。

はるか戦火を逃れて

はるか戦火を逃れて

農業を学びにインターンに行ったスイスで、ユーゴの男性と出会い結婚。
そのまま男性の故郷ボスニア・ヘルツェコビナのビハチで暮らし始めて、3人の子供をもうけた。
穏やかな生活を送っていたがユーゴ紛争が勃発し、生活は一変する。
夫は徴兵中に迫撃砲にあたって死亡。
彼女も一度町中で狙撃されたが、幸いにも命に別条はなかった。
前線がコロコロと変わる中彼女は住んでいた村を離れ、別の町に身を寄せるが、結局その町も捨てて、義姉とクロアチアへ逃げて難民となる。
彼女が国際赤十字に救出されたのは、難民となって13日目のことだった。

ユーゴ紛争は色々なところで、さまざまな争いが勃発したが、中屋敷さんが巻き込まれたのはモスリム人対モスリム人の戦い。身内同士の争い、というのが辛い。
夫を含め周囲の人たちはみな争いに反対していたというから、激情を爆発させたのは本当に一部の人間だったのかもしれない。

彼女を救うために、当時ユーゴ紛争を取材していたフォトジャーナリスト水口康成氏が動いていたらしい。
彼は今、TBSにいるのかな?この本にも彼が撮影した写真が十数点載っている。
中屋敷さん、いい顔してるな。
この激動を、今の私と同じくらいの年齢の時に駆け抜けたのだな。
今、どうされているのか、とても気になる。