コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

新版 放浪記 | 林芙美子(kindle)

林芙美子の「放浪記」、なかなか手に取らずに来たけれど、やっと手に取るや、はじめの1ページ目からグイグイと引き込まれ、一気に読んだ。

その日の金勘定もままならないほどに困窮した生活の中、食べ物と金を求めて、次々に職を変え、住処を変える芙美子。
この仕事はいいんじゃないかな、この男はいいんじゃないかな、と思っても、芙美子はすぐに職を変えるし、平凡な男は気に入らない。なかなか難しい女で、読んでる方も気が休まらないけど、「放浪記」に書き連ねてるこの女の正直な心の在り様が、イコールこの女の魅力でもある。

芙美子には母がいて、義理父がいる。彼らも生活に逼迫しており、芙美子に金を無心したり、芙美子を頼って東京まで出てきたりする、芙美子も日夜自身の行方に苦悩しながらも、常に頭から離れないのは書いている詩や童話のことと、苦労している母のことである。

芙美子が野村と同棲している部屋に、はるばる尾道から母キクが訪ねてきた場面は、読んでいて一番強烈に印象に残っている。
直前に芙美子と大喧嘩している野村は、キクと対面しても挨拶もしない。キクも芙美子と野村の異様な雰囲気を察して、部屋では物音も立てない。それこそ3人には全く金もなく、寒く凍えるような部屋の中、布団も足りない。座布団を並べて母を寝かせ、着物や新聞紙、温かいまんじゅうを載せて母を暖めて寝かす芙美子。朝、ゆで卵を二つキクに与えると、キクは飲み込むように食べる。 母に心寒い思いをさせぬように色々と世話を焼く芙美子だが、娘を心配しつつも、娘にお金を借りようとしていたキクは心細さを時折顔に出す。

なんなんだ、これは。 芙美子の母に対する思いは、私の母に対する思いに強く似ている。母という存在は、ある一定の年齢を超えると、好き嫌いを通り越して、親と子どもの立場が入れ替わってしまうように感じる。子ども時代に母が苦労している母娘は尚更ではないか。芙美子の気持ちを思うと胸がぐんと締め付けられ、1行読むと1行前に戻るような読み方になって、なかなか先へ進めなかった。

母キクも不思議な女だけれど、憎めない。終盤、憎たらしくなり腹の中で「死んじゃいなよ」とまで思う芙美子だが、それでも母を捨てられない。多少金が回るようになっても、同居していた母・義理父とうまくゆかず、別居してしまう。ひとりで生きて行く寂しさに転げまわりながら、母と暮らすこともままならない。この不条理。

「放浪記」は母と娘の物語ではないと思うのだが、私はそう読んでしまった。
読後、林芙美子を少し調べてみると、キクの人生がどうなったのかはわからなかったが、林芙美子が実生活では男で苦労した後に良き伴侶に恵まれたという事実を知ってホッとした。

林芙美子は短く小気味よい文章を書く。孤独と寂しさにまみれた文面なのに、からりと乾いた軽妙な印象を残す。このバランスが面白い。他の作品も読んでみたくなった。

放浪記 (新潮文庫)

放浪記 (新潮文庫)