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コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

神の棄てた裸体 | 石井光太(新潮文庫)

古本屋で何気なく買ったものの、気が乗らなくて全然読んでなかった一冊。
たまたま読み始めたら、はじめの章から面白くて、一気に読んでしまった。

神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く (新潮文庫)

神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く (新潮文庫)

イスラム文化圏を「性」の観点から見つめた一冊。網羅されている地域は、中東から東南アジアまでと幅広い。
筆者自身が旅人ではなく、その土地土地でバーの店員や売春宿の手伝いなどしながら現場に潜り込み、目で見て耳で聞いた記録である。

すべての章の、すべてのエピソードに登場する、女たち・男たちに気持ちが吸い込まれる。
生きるため、孤独から解放されるために、その道を選ばざるを得なかった人たちは、私と遠い世界の人間ではない。
「花の都の裏切り者」に登場する、アフガニスタンの首都カブールでホームレスとなっているソルタンは、アフガニスタンという土地に生きているからこそ彼はあそこまで堕ちてしまったが、彼の生への必死なまでの執着は、わたしの生きている世界では当然の欲求である。それが、家族からも認められない残酷さ。愛の形も生への欲求も自由でない中で、死と隣り合わせになりながらも掟に従えない人の姿を、私は想像できていなかった。伝えてくれた筆に感謝したい。

このルポは必読と思いながらも、気になることを少し。
ところどころ、老人の語り口が「わし」になっているのが、私は不満である。私はこれまでの人生で、「わし」と自身を呼ぶ老人に出会った試しがない。ドキュメンタリーに脚色がない、とは思っていないけれど、「わし」という一人称が誕生した途端に、その人間の口から出ている言葉全てが脚色されたように思える。
「問わず語り」のミャンマーの老人の独白は、残念ながら私は作り話として読んだ。このエピソードでは「わし」以外に、語尾にも「じゃ」や「だのう」などが使われており、三流ライターのような書き口で鼻白んだ。
たかが一人称かもしれないが、それだけで日本語は沢山の想像や判断をはらむ。だからこそ、一人称の選択は真摯になるべきだし、気安く「わし」や「あたしゃ」などの単語を使うべきではないと感じる。特にルポタージュという分野においては。

面白く読んだだけに、そこだけが残念であった。