コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

こんな夜更けにバナナかよ | 渡辺一史(文春文庫)

あゆみBOOKSの文庫本売り場の目立つところに、高く積まれてPOPまで立ててあったこの本。
タイトルに惹かれて何となく手に取り、面白くて一気に読み終えた。

筋ジス患者の鹿野靖明氏を巡る「ボランティアたち」を追ったドキュメンタリー。
鹿野氏を主体として綴られた本に間違いはないのだが、読んでいて浮き上がってくるのは鹿野氏と共にいたボランティアたちの方だった。

まずびっくりするのは、鹿野氏は人工呼吸器をつけた身体でありながら病院を離れ、自宅で24時間つきっきりの介護ボランティアたちに支えられて生活していたこと。
ボランティアは学生、主婦、社会人と常時20~30人がシフト制で働いていたという。
ボランティアは排せつの手伝い、体位交換から、医療行為とされている、痰の吸引まで行う。

彼らはなぜボランティアを始めたのか、そして何を得たのか(著者も自覚的に書いているが、ボランティアにありがちな自分が変えられたという意識・幻想を抱きがちである)、そもそも鹿野氏との日々は何だったのか、までを掘り下げてゆく。

鹿野氏は相当な個性の持ち主で、口も悪いし、わがまま、自惚れ屋。
こちらが想定しているような従順な障碍者ではない。
しかし、読んでいると非常に魅力的な人物で、写真を見るだけでもいい顔をして笑っている。
ボランティアの方たちは大変だったろうが、彼らのエピソードにはこの人への愛もたくさん滲んでいて、びっくりする。

ボランティアとはなんなのか。なぜボランティアなのか。
自分にも最近ブーメランのように返ってくる問いだけに、しばし考え込んでしまった。
鹿野氏のボランティアは命が関わるだけに甘くなく、鹿野氏と対等に1体1の関係まで踏み込めた者だけが残ってゆく、という記述を見たときは唸った。
鹿野氏の望むこと全てに応えようとすると、それぞれのボランティアはジレンマに陥る。
そこをどう乗り越えてゆくか。

私が思うにボランティアとは、慈善行為ではない。
金銭ではなく信頼の契約を結んだ、ともに生き行動するという気持ちに基づいた行為のような気がする。