きょうのできごと | 柴崎友香(河出文庫)
何でもない会話が連なって、そのときの空気や雰囲気がそのまま漂う。自分はそこにいないんだけど、不思議な同時性を体験できる小説。
大学卒業直後に読んでたらどうだったかなーと思いながら読み進めた。
時間が経ってから、当時の立ち位置や関係性を正確に確認できることってある。何となくだけど、今読んでよかったような気がする。タイミングとして。
- 作者: 柴崎友香
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2004/03/05
- メディア: 文庫
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記憶は確実に過去のものになるんだけれど、この小説は何年か経って読み返した時も、たぶん過去を感じないで、わいわいとした雰囲気をいつまでも残したまま、自分がその年代に返って再体験できるような気がする。
午前4時、中沢が真紀ちゃんと一緒に自分の母校を久しぶりに訪れて、高校時代を走馬灯のように思い出していたモノローグを読んだとき、私も一瞬自分の高校時代を思い返したんだけど、わたしもやっぱりほとんど覚えていなかった。
電気の消えた校舎を眺めて、ここ何年も一度も考えたことのなかったようなことを思い出していた。食堂はアイスクリームも売っていた。そういえば柔道の授業とかもあった。ぼくはまあまあ強かった。教室では眠ってばっかりで、一時間の授業の間もずっと起きていることはめったになかった。数学が好きだった。何をしていたかなんて、もうほとんど覚えていない。
巻末の保坂和志の解説がまた面白い。この人の言わんとしてることは感覚としてわかる。
未来に希望無ないとしたら、「あるのは絶望だけだ」というのは、『ストレンジャー~』以前の考え方で、私たちは未来に対して希望も持っていないけれど絶望も感じていない。
つまり、未来はもうかつて信じられていたみたいな”特別な”ものではない。それを私たちはよく知っている。だから、『ストレンジャー~』を境にして、フィクションの時間はもう未来に向かって真っ直ぐ進まなくなってしまった。それはフィクションの構造にも、ストーリーやテーマの展開にも、両方にあてはまる。未来には希望も絶望もないけれど、今はある。見たり聞いたり感じたりすることが、今このときに現に起こっているんだから、フィクションだけでなく、生きることそのものも、過去にも横にも想像力を広げていくことができるのではないか。もしそれが未来に向かったとしても、過去やいま横にあることと等価なものとしての未来だろう。
彼が言及している「ストレンジャー・ザ・パラダイス」を見てみたくなった。
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