コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

生きながら火に焼かれて | スアド(ソニー・マガジンズ)

この本の存在は知っていた。たぶん、2004年くらいに店頭にこの本が並び始めたときから。
でも、手に取ることはなかった。「名誉の殺人」の実際のところを知る勇気と、それを受け止める勇気が私にはなかったから。

生きながら火に焼かれて

生きながら火に焼かれて


本のタイトルと白い仮面をつけた女性のアップの表紙は、店頭で見ていた時から慣れない。実は今も怯む。
この本は二部構成になっていて(真ん中に彼女を助けた人権団体の女性の声が入るけど)、前半が殺されかけるまでの彼女の家族や生活の話で、後半がヨーロッパに逃れてからの話。

この本の主人公スアドが生まれたのは、中東シスヨルダンの田舎町。そこは男性が絶対優位で、女性に人権は与えられない場所。女として生を受ければ、学校には行けず、一日中家の手伝いをして過ごす。女の子同士で自由に会話したり、男の人と道端で目を合わせたりすることは厳禁であり、ひとりで自由に外出することさえ出来ないので、結婚するまで女の子は家の外の世界を知ることはない。

家庭内では、家長である父親が妻や娘に容赦なく暴力をふるう。そして、暴力だけでなく殺人(殺されるのは女)も日常茶飯事で行われている。子どもは男の子が望まれるので、女の子が2、3人を超えるとその次から生まれた女の子はこの世に誕生した瞬間に母によって窒息死させられる。不貞があった女性は家族の男性から殺められる。実際、スアドのすぐ下の妹は弟によって殺されている。理由はわからない。

女の子として生を享けた以上、生まれながらにして奴隷のようなものだ。男たちとその法則に従って生きていく人生は、父親によって、母親によって、そして兄弟によって常に管理され、さらに一見、解放されるかのように思える結婚という新たな人生においてさえ、今度は夫となった者に従属するという運命がついてまわる。


とにかく前半で書かれている父親の暴力が凄まじい。フォントが大きくてそんなに厚い本ではないのだけど、彼の暴力は完全に度を越していて、なかなか先を読み進められない。スアドも常に暴力と死の恐怖に苛まれるけれど、次第にそれらの行為に疑問を感じなくなっていく。

家族間で行われる「名誉の殺人」でずっと疑問だったのは、昨日まで一緒に暮らしていたはずの家族をどうして殺せるのか、という一点だったのだけど、常に壮絶な暴力があったのであれば、何の不思議もない。そもそも娘を「愛してない」んだから、何の躊躇もなく殺せる。娘への愛よりも、家族が世間から受ける恥への恐れの方が勝る。

スアドは17歳(19歳?)になって恋に落ちて、妊娠する。妊娠が分かって、彼は義兄に殺されかけるわけだけど、運よく一命を取り留めても、病院まで母親が彼女を殺しにやって来る。こちらの想像を超えるほどの、その執念。

ヨーロッパに逃げてからは、彼女はゆっくりと再生していく。当然上手くいくことばかりではないけれど、本の最後に綴られているのは、彼女がたどり着いた家族の幸せな形。
そして、彼女は「名誉の殺人」の貴重な生存者として、この事実を世界に知ってもらうために、自分の過去について証言し始める。

私の弟は家族で唯一の男の子でした。ヨーロッパの男性と同じような服を着て、学校にも映画にも床屋にも、自由に外出できるのです。
<中略>
弟は幸いにもふたりの息子に恵まれました。でも、ラッキーだったのは彼ではありません。kの世に生を享けなかった彼の娘たちです。生まれてこなかったという最高のチャンスに彼女たちは恵まれたのです。

私は今でも本名を名乗ったり、顔を出したりすることはできない。できるのは話すことだけ。話す、これは私に残された唯一の武器だ。

ここまで言わせる、女の子としての生とは。スアドが望んでいるのは同情じゃない。まず初めに必要なのは、知ることだ。世界のどこかで女の子たちの身の上にこういうことが起きている、ということを知ることだ。

私、読み終えてから、やっぱり読まなきゃよかった、って正直少し思った。スアドの人生を受け止めるには覚悟が必要だった。何度も途中で休憩を入れながら、痛みや苦しさから解放されたくて、読み進んだ。この本は精神的にももちろんそうだけど、物理的にも痛い。消化するにも少し時間がかかる。
でも、鉛のように記憶に残る一冊になる。