コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

めぐり逢わせのお弁当(2013年 / インド・フランス・ドイツ)

風の噂で存在は知ってた作品。友人の家で、友人のパソコンで観た。始まって数分で目はパソコンにくぎ付け。久しぶりに映画を観て、映画への飢餓感が一時的に満たされたことと、思いもよらない良作だったことが、思いのほか凄く自分を興奮させた。やっぱり人生にエンタメは必要だ。エンタメなしじゃ生きられない。

映画は、インド独特(ムンバイ特有?)のお弁当配達システムで、ある家族のお弁当が全くの他人に誤配達されたことによって始まる淡い恋。
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誤配達されたお弁当を食べる側であるサージャンの、亡くなった妻への郷愁が募っている手紙が読まれるときと、夜の自宅のバルコニーで煙草をふかしながら隣家の家庭の団欒を眺める横顔が映し出されたとき、鷲掴みされたように胸が苦しくなった。

イラの孤独よりも、サージャンの孤独の方が深く暗い。それは家族のいない寂しさであり、友人・同僚とは付き合いの薄い寂しさでもあり、老いを自覚し始めた寂しさでもある。イラも夫との不和に苦しんでるけど、彼女には娘がいるし、母がいる。夫が寝たきりの、上階に住む相談相手のマダムもいる。そして、まだ若い。
この孤独に私は一人で向きあえるか、映画を観ながら自問自答した。自分には無理だとは思いながら、一方で自分が迎える実際の未来にも思えた。私はサージャンよりもイラの年齢なのだけれど、私には夫も娘もいないからサージャンに感情移入してしまったのかな。

私があなたとブータンに行けたらよいのに

サージャンがイラに書いた手紙の返信。国民総幸福量という考え方を採用しているブータンに行きたいと、イラがサージャンに書いたから。現代化の進んだインド人も、もはや先進国では癒されない。近くて遠い国ブータンに思いを馳せて、かの地の幸せをうらやむ。

寂しさに起因する孤独はもはやグローバルで、今やどこにいても、誰もがみな似たような孤独を抱えてる。アメリカ映画にもヨーロッパ映画にも中国映画にもその姿を見たことはあったけれど、インドのムンバイにもグローバルな孤独がやって来たんだ、と思ったら、また世界は少し狭くなった気がした。
似たものを抱えてるからこそ、心の琴線に触れてしまって、この作品を私は手を握りしめながら観た。イラにももちろんだけど、イラよりもサージャンにより暖かな光が差してほしいって、そう思いながら。

めぐり逢わせのお弁当
2013年 / インド・フランス・ドイツ
原題:Dabba、英題:The Lunchbox
監督:リテーシュ・バトラ
出演:イルファーン・カーン、ニムラト・カウル

めぐり逢わせのお弁当 DVD

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