コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

ミナリ(2020年/アメリカ)

見てきたよ。公開されるの心待ちにしてました。映画をこんな気持ちで見に行ったのは久しぶり。
f:id:towaco:20210321092108j:plain(このポスターがお気に入り。アメリカ版ポスターはおばあちゃんのいない4人のがあるんだけどあれはひどくない??)

アーカンソーに越してきた韓国人一家のお話。
トレーラーなどで「農業の成功を夢見てやってきた一家」とか言ってるけど、農業の成功を夢見ているのは父のジェイコブだけである。

5人の家族には互いに小さな、もしくは埋められない不協和音があって、それが細かなエピソードで延々と紡がれるのだけれど、「ああこういう家族の映画なのかこれは」と想像していたのとは少し違って驚いた。自分はこういう延々と日常が続いていく作品が好きなのでこれもありと面白く見てたら終盤に歯を食いしばらずにはいられないような展開になり慄いた。悔しさや哀しさには分類できない、これまで家族の姿をずっと見させられていたからこそ湧き上がる、現実に対する途方もない憤りが自分の全身を貫いていく。家族はそれぞれを呼び続ける。夫婦は互いを。子供たちは親と祖母のことを。衝撃の一夜が明け床に雑魚寝した一家にこの家族の力強さを見た。

個人の映画評をちらちらと読んでいると、父ジェイコブの愚かさに触れるものがいくつかあって驚いた。自分は彼を愚かだとは思わなかったから。
この作品は冒頭から激しい夫婦喧嘩があって、自分は自身の両親を思い出したし、「喧嘩をやめて」と子供たち二人が紙飛行機を飛ばすシーンの二人の気持ちは痛いほどわかるし、自分の子供時代も親の喧嘩を目にするたびに似たようなことをしていた。この瞬間に自分は父ジェイコブや母モニカの視点でこの作品を見ることはできなくなって、誰に呼応したかというと娘のアンである。作品全体を通してアンの描写は薄く、彼女の心理描写はほとんど描かれないので想像するしかない。この空白の溝に自分の意識を入れ込んで見てしまった。正しい映画の見方ではないのかもしれないけれど。
何が言いたいかというと、ジェイコブは確かに自分勝手な一面もあるが、同時に妻を気遣ってもいる。それが妻の求めているものと異なっているだけである(それが大きな問題なのだけれど)。父と母が何度か別れの危機を迎えるが、姉アンと弟デビッドはどちらについていくべきか選べない。これはかなり大きなことで、母が可哀そうだと強く思っていればきっと子供たちは迷わず母を選ぶ。つまり彼らにとって父は悪夫でも悪父でもない。

家族を選ぶのか夢を選ぶのか、というのは大きな問いだが、ジェイコブは自分の夢を叶えた先に家族の幸せを見ているように思う。でもモニカにはジェイコブのその先が見えていない。ジェイコブがもっと語れたらいいのに。
二人はそれぞれの家族の幸せを見ているように思うけど、それを二人は上手に具現化できなくて会話は抽象的だから二人の誤差は埋まらない。闇雲に心が離れていく哀しさがあるけれど、ジェイコブだけが愚かだとは思わないし思えないのは、やはり彼のモニカへの思いやりを感じるから。子供たちへのそれよりも強く。アンの視点から。自分の父はあのような思いやりを持てる男ではなかったから尚更。もうどうしても自分はモニカの視点に立てない。
このジェイコブという役は、スティーブン・ユァンではない俳優が演じたら、また違ったジェイコブになっていたと思う。もしかしたら高圧的、独善的な夫、父親になっていた可能性もある。そう考えると、自分のこの考えは俳優の個性やスキルによるところも大きいのかもしれない。

終盤の再出発の場面で、水脈を探し出そうとするジェイコブの隣にはモニカがいる。十分である。

ここまで主にジェイコブについて語ってしまったが、この作品の主役はデビッド。デビットと祖母の関係が多く描かれるが、祖母を神格化させず、ステレオタイプなところに押し込めなかったことも、この作品の好きなところ。少しずつ祖母との関係が変化していく中で、細やかに表情を変えていくデビッド役のアラン・キムも素晴らしい。

残念なのはやはりアンの描写が少ないところかな。これは監督の自伝的要素を多く含んでいるようなのでデビッドに多く時間が割かれるのは致し方ない。ただもう少しアンの存在を見たかった。彼女にも心の内に秘めた葛藤があったと思うから。

この作品はアメリカにわたって農業成功の夢を見る一家の物語というより、普遍的な家族の物語である。慣れない土地で時に追い詰められながら、家族であろうとするためにもがいている彼らの幸せを強く願わずにはいられない。

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