コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

極寒のサンクトペテルブルク 2日目(2016.01.07)

朝イチでまずはエルミタージュ美術館

前日寝たのが夜中の1時過ぎだったから、この日確か起きたのは8時過ぎ。
支度をして外へ出たのが確か9時前だったと思うんだけど、朝日はまだ昇ってなくて薄暗い中をテクテクと歩いた。
朝ごはんをゲストハウス近くのカフェで食べて、地下鉄に乗って、エルミタージュ美術館へ急いだ。

この日は丁度、ロシア正教のクリスマスの日でロシア人が祝日&エルミタージュ美術館が無料の日だった。着いてみたら、広場の中心までグインと伸びる行列。チケットはオンラインで事前に買えるんだけど、ナメて買ってなかった私。甘かったな……。
美術館前の広場に着いた時点でまだ太陽は完全に出てなくて、キーンと痛いくらいの冷気の中で身体を丸めて、ひたすら列が進むのを待つ。並んでるロシア人たちも相当寒がってて、広場に屋台が出ててホットココアや紅茶を売ってるんだけど、それを買って飲んで身体を暖めたりしてた。私は一人だから列を離れられなくて、それがすごい羨ましかった。時期的に家族連れが多くて、一人で並んでるのは私くらい(そもそも外人も私くらいだったかも)。周りのアットホームな感じに少し気圧されたのは内緒。あと、足踏みして身体動かしながら、何とか暖まろうとしてる人も結構いた。音楽聴きながら、陽気にステップ踏んでるご婦人もいたし。

R0011011 これで午後1時ぐらい。

結局何時間並んだのかな。2時間ちょっと並んだのかな?
美術館の外門を過ぎて、中庭の途中までは進めたんだけど、もう私の身体がどうにも限界で手足の感覚が薄れ始めた時点で列を離れた。この日はとにかく人が多かったから入場制限が行われてたみたいで、列が全然進まなかった。もう牛歩の域。半日無駄にして悔しかったけど、こればっかりは仕方がない。

昼ごはん食べて仕切り直し

寒空の下ずっと突っ立ってたからお腹が空いちゃってどうしようもなくて、広場を後にしてカフェを探した。
次に行こうと思ってた聖イサアク大聖堂に向かいながら、ひょっこり入ったとあるカフェ。
メニューが多国籍でエキゾチックなお店だった。
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ラーメンらしきものとカフェオレを頼んだ。カフェオレ飲んで、やっと身体が暖まった感じ。
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このカフェの玄関にあったビール瓶で作られたツリー。超かっこいい。
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寒空の下、聖イサアク大聖堂へ

お腹が満たされて身体も少し回復した後は聖イサアク大聖堂へ向かった。ここはエルミタージュ美術館とは違って、チケットを買えばすぐに入れた。
展望台と内観見学の二つがあるけれど、私は先に展望台へ。
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展望台へ登って、驚いた。サンクトペテルブルクの景観の美しさよ……!
冬だし、あまり期待していなかったけれど、冬だからこそ見える景色がある。 外気に当たるだけで顔全体が刺されるような痛みのある気温だったけど、登って良かったと思ったし、冬に来て良かったとも思った。でもここで写真撮ってるとき、絶対カメラ凍ると思ったよ。
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丁度日の傾くタイミングだったのも良かった。淡い空の色と屋根に積もった雪の白とのコントラストが凄く綺麗。
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一通り景色を眺めた後は展望台を降りて、聖堂の中へ。
でも実はあんまりこの政党の内部は覚えてない。記憶が色んな聖堂内部とごっちゃになっちゃって……。

豪華絢爛な天井絵。
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聖イサアク大聖堂も人は多かった。
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夜の地下鉄入口

この日は特に夜の予定は入れなかった。「元気だったらどっかいけばいいし」とか思ってたけど、やっぱり疲れが出ちゃって、聖イサアク大聖堂の後はゲストハウスに大人しく戻った。

ネフスキー大通りの「невский проспект(ネフスキー・プロスペクト)」駅から帰ったんだけど、この地下鉄入口を見よ。
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雪は降ってないのに、地下からの温かい空気が地表に出た途端一気に凍り付いて、霜が降りてる状態。同時に地下鉄入口からモクモクと立ち上る湯気。
もう本当に凄まじく寒い、サンクトペテルブルクの冬の夜。

夜ごはんのちょっとした思い出

夜ごはんはゲストハウスそばの食堂で。あんまり人がいないとこだったんだけど、そこに他人の残飯を狙って食べてるおっさん(ホームレスの人かな?)がいて少し驚いた。悲壮感よりも、慣れたふてぶてしさがあって、ちょっと面白いキャラだなと思って見てしまった。

極寒のサンクトペテルブルク 1日目(2016.01.06)

サンクトペテルブルクにふらりと一人旅してきたのは、もう三か月ほど前のこと。
記憶が少しずつ曖昧になって来てるけど、真冬のサンクトペテルブルクがとっても素敵だったから、少しここに記録しておきたい。

出発前のお話

とりあえず、私の今回の行きのフライトはこんな感じ。  

2016/01/06(Wed)
06:30 出発
08:05 シェレメーチエヴォ国際空港(モスクワ)到着
10:05 シェレメーチエヴォ国際空港(モスクワ)出発
11:30 プルコヴォ空港(サンクトペテルブルク)到着


出発の飛行機が6:30だったので、ゲストハウスに前泊。
空港には5:30には着けばよいので、タクシーで向かうとして1時間ほど余裕を見ると出発は4:30。すると4:00に起きればよい。21時前にはシャワーを浴びて布団にもぐった。22時半過ぎに知人から電話。寝ぼけた状態で出たから何話してるのか自分でもわからなかった。
しかし深夜に諸事情あって、朝は30分前倒しでゲストハウスを出発することに。結局3時半には起きて4時にゲストハウスを出発した。タクシーは一緒に空港に向かう中国籍の男性と相乗りで。
夜明け前のせいか空港までは1時間もかからなかった。40分くらい?おかげで空港にはかなり早く着いた。列なんてないような混雑の中チェックインを何とか済ませ、出発ゲートへ。飛行機の搭乗時間まで2時間ほど余るという予想外の展開になったけど、ベンチに座って寝ながら待った。
案の定と言っていいのか、搭乗時間は予定通りにはいかず、結局飛行機は30分遅れの7:00出発となった。

飛行機乗り継ぎながらサンクト

7時過ぎに出発した飛行機は、現在私の暮らす国から5時間かけて、まずはモスクワを目指す。
飛行機は朝を追いかけながら飛んだ。途中、夜と朝の境目を見ることができた。
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朝焼けが空を赤く染め上げた頃、窓から見えた風景を強く覚えてる。
あれはロシアのどこの町だったのかわからないけれど、暗闇の中転々と広がる車のライトが見果てぬ先まで続いてた。みんな通勤の途中だったのかな。真っ平らな大地がどこまでも続く光景は、「今自分は大陸にいるんだ」って強烈に実感した。

そして、しばらくして日が完全に昇ると、凍てついた果て無く続く氷の大地が眼下に広がった。
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眠ったり、外の風景を眺めたりしてたら、案外あっという間にモスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港に到着。飛行機の窓から見たモスクワは雪が吹雪いてた。

ここでサンクトペテルブルクへ乗り継ぐのだけれど、空港の構造が結構複雑で乗り換えは結構手間取った。進路がわかりづらい上に、乗り継ぎの道が狭くて、私と同じく乗り継ぎ客たちが道で詰まっちゃって、出国ゲートへ向かうエレベーターまでは牛歩状態。疲れた。

そして飛行機に乗り込み、モスクワからサンクトペテルブルクへ向かう。所要時間は1時間。もう日は高く昇っているので太陽にあたると急速に眠くなって、今度はほとんど寝ていた。

やって来ましたサンクトペテルブルク

サンクトに着いたのは午前11時半過ぎ。飛行機から降りて空港から出ると、快晴というほどではなかったけれど晴れていて、雪は積もっていなかった。覚悟はしていたけれどこの日の気温はマイナス20度。空港から出た瞬間にキーンと凍てつく空気に体中が包まれる。でも不思議と凍えるほどは寒くない。ただ気持ちが引き締まる感じ。
市内へ通じてるシャトルバスに乗って終点のモスコフスカヤ駅で降り、そこからは地下鉄に乗り換えてヴォルコフスカヤ駅へ向かった。とりあえず、予約しているゲストハウスに荷物を置きに行きたかった。

宿泊先が見つからない

ボルコフスカヤ駅で降りて、ゲストハウスを探したわけだけれど、これが予想以上に難航した。
iPadでマップを確認しながら探したんだけど、どうしても見つからない。通りも番地も合ってるはずなんだけど、看板が出てなくて、近所のレストランやお店の人たちに聞きまくって何とか見つけた感じ。結局30~40分近くグルグルしてたのかな。身体は芯から冷えてきて本当に参った。
探し当ててみたら、ロシア式のアパートの一フロアをゲストハウスにしてる形だった。通りで見つからないはず。だってまず、その建物に入るためには、そのアパートの格子状のゲートを開けなきゃ入れない。そこにゲストハウスが存在するなんて、ロシアに住んでる人じゃないとわからないんじゃない……。
まずアパートに入るためのゲートを開けるためにピンポンしなきゃいけない。これはロシア語ができない人には相当ハードルが高いと思う。ピンポンして、応答した相手に今日の泊り客であることを伝え、ゲートを開けてもらって、中に進んでとりあえず手前の棟のドアを開ける。そこがゲストハウスの入り口だった。この入り口にも張り紙一つないから本当にわかりづらい。

私が宿泊したゲストハウスはここ、「East End Marata」。今回のサンクトペテルブルク滞在中は、結局ここに4泊した。
地下鉄のM5線「Volkovskaya(ヴォルコフスカヤ)」駅から徒歩5分ほど。Booking.comで予約した。

  • 部屋
    私が予約したのはシングル窓ナシの部屋。 6畳もないような狭さに、ベッド、棚、机、壁掛けテレビ。狭いけれど、逆に言えばベッドの上にいて何でもできる環境で、これはこれで文句なし。
    フロントに近い部屋なのでWifiも問題なし。

  • キッチン
    綺麗。冷蔵庫も清潔。湯沸かし器や電子レンジもあり。

  • お風呂、トイレ
    清潔。これが何より有難い。ドライヤーはなし。

  • 立地
    比較的中心地に近い場所にある。ネフスキー大通りまでも徒歩10~15分ほど。
    近くにスーパーが数軒あり、大衆食堂もいくつかあった。

このゲストハウス、探すのは大変だったけど、結果的に大正解だった。

大きな荷物を置いて、ベットでひっくり返って飛行機で疲れた体を30分ほど休ませた後、町へ繰り出した。

まずは夕暮れ前のネフスキー大通りを散歩

とりあえずはネフスキー大通りを東から西へ歩くことにした。
東から歩くと、かの有名な「ナチュラ・シベリカ」があっさり見つかった(日本でも青山に店舗がある)。店内は結構混んでて、30分ほど冷かしたけど何も買わなかった。

まだ午後3時過ぎとかだったけど、少しずつ日が傾き始めてる。 R0010987

サンクトペテルブルクのデパート「Большой Гостиный Двор」横あたり。
モクモクと立ち上る煙は煙突から?寒く厳しい冬を暖める煙に少し和んだ。 R0010989

電飾が灯る前の暮れなずむサンクトペテルブルク
この群青と茜色が薄く伸びている空の色が幻想的だと思う。
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ネフスキー大通りを垂直に流れる川は完全に凍っている。
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寒空の下、驚いたことにスタンドコーヒー屋さんが何軒か。
立ちっぱで販売してるお兄さんたちは偉いと思う。
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光り輝き始めるネフスキー大通り

電飾が灯り始めると、一気に通りが華やぎ始める。キラッキラしてて、歩きながらウットリしちゃう感じ。夜になると気温がさらにぐんと下がって、水蒸気が凍り始めるのか、電灯だけじゃなくて、まわりの空気もキラキラし始めて、それも綺麗だった。寒いけど。
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クリスマスツリーとカザン聖堂

ロシア正教のクリスマスは1月7日。つまりこの日はロシアではクリスマス・イブで、大きなクリスマスツリーがカザン聖堂の前に鎮座して、チカチカ点滅してた。
この日はクリスマスプレゼントを選んでる人たちが街中ゴッタ返してたのも、すごく記憶に残ってる。

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凍りついた水蒸気がキラキラ舞って。
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夜はサンクトペテルブルクフィルハーモニー

今夜は夜8時からフィルハーモニーを聞きに行く予定だった。演目はビゼーの「カルメン」。ロシアだけど「カルメン」。このときロシアは絶賛クリスマスシーズンだったので、自分の予定と照らし合わせるとこの日のチケットしか取れなかった。ちなみに翌日のクリスマスコンサートは完売だった。
散歩を一通り終えたら、会場のサンクトぺテルブルク・フィルハーモニー大ホールを探した。建物はすぐに見つかったけど入り口がわからない。建物の周りをグルグル回って、入り口はどこだろうと情けないけど2周も3周もしちゃって、関係者入口に間違って入っちゃったりして、それでもやっと見つられて安心した。
この頃くらいには日もすっかり暮れて、かなり気温が下がってしまって、体内の熱が逃げないように体を折るようにして歩いてた。
劇場の場所を確認した後は軽くご飯を食べて、少し体を暖めてから、再度劇場へ向かった。

劇場前の広場。雪は降ってなかったのに、夜になって道路が凍てつき始めてる。
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劇場向かいの広場は木々に凝った電飾が施されていて、とても綺麗だった。
オペラ座の怪人、的な。
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劇場内は白壁に赤じゅうたんでシックな雰囲気なんだけど、内装は意外にも新しい。 IMG_0697

トイレがすごい行列で、トイレと劇場をつなぐ小部屋があって、そこには休憩用のソファと大きな鏡があったのが印象的だった。鏡に映った、防寒用にタイツを二枚履きした自分の足が本当に大根よりも太くてガッカリしたのもいい思い出。

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演目は「カルメン」だけじゃなくて、4、5曲演奏したのかな?
久しぶりに聞く生で聞く演奏会、曲を弾き始める直前やフレーズの直前に楽隊全員が一斉にブレスする瞬間を目と耳で感じるたびに、「ああ、生なんだ」と嬉しかった。でもその喜びは長くは続かなくて、クラシックのメロディにやられて一気に気が抜けたのか、初っ端の「カルメン」途中から完全に船を漕ぐ有様。朦朧とする意識の中、寝ちゃダメだってわかってるんだけど、身体がいうことを聞かない。睡魔と終始戦って、何とか勝ったと思ったら、残り10分ほどしか残ってなかった……。というわけで、ほぼ記憶ナシ。

サンクトペテルブルク1日目終了

この後は、歩いてゲストハウスまで帰ろうとしたんだけど、あまりに寒かったので地下鉄に乗って帰った。
ゲストハウスに着いたらシャワーを浴びて、すぐに寝た。

SMAPの「しようよ」を聞いている

気ままに暇な身の私(一応働いてる)。家に帰ればしなきゃいけないことも山積み(勉強とか)なのに、最近はSMAPの曲ばっかり動画サイトで聞きまくってて、しなきゃいけないことができてない。何で今さら…って自分でも思う。まさか私にこんな日が訪れるとは。

解散報道が出た時の衝撃は言い表せない。SMAPに対して特別な思いなんて無かったはずなのに、いざ解散となると突然色んな感情が突き上げてくるんだから不思議。日本からこっちに来る頃は嵐にかなり勢いがあって、SMAPはそろそろ終わコンだなーって思ってたもん。むしろ時代は嵐だな!って感じだった。SMAPは少しずつフェードアウトしてくんだなーって。

でも、解散って聞いて慌てて動画サイトとかで昔の歌とかスマスマのコントとか見返してたら、彼らに対する愛おしさに気づいてしまって、参った。「SMAPはインフラ」って言ったのは作家の浅井リョウだけど名言だと思う。他のタレントで代替がきくか、と言われれば実際難しい。嵐がいるじゃんって思ってたけど、SMAPと嵐じゃ自分の中への浸透度が全然違う。小学生のころから20年以上、ずっとテレビで見つづけてきたんだから、蓄積されてる絶対量が全然違った。

私が一番初めに認識したメンバーは森くん。「ツヨシしっかりしなさい」ドラマ版の主役のツヨシ役を演じてた。私の弟の名前が「ツヨシ」だから、母と弟と毎週見てた記憶がある。その後、森くんがアイドルグループの一員で、そのメンバーには実際に「ツヨシ」がいるって知ってびっくりした。
りぼんっ子だった私は、その次に「姫ちゃんのリボン」や「赤ずきんちゃちゃ」で声優を務めた草なぎ剛香取慎吾を知った。
その他の3人はいつ知ったんだろう。

90年代にリリースされた曲なんて、サビのフレーズを聞くだけで自分の色んな思い出が溢れ出ちゃうものばっかだよ。困っちゃうよ。
「がんばりましょう」は友だちと一緒に行った美容院の帰りに口ずさんでたこと思い出すし、「青いイナズマ」は中学の体育の授業でダンス踊ったし、「SHAKE」と「ダイナマイト」は当時聞いてたラジオ番組からダビングしてよく聞いてたよ。カセットで。
今回色々聞き返してみて、SMAPが昔歌ってた歌って私にとっては、もう完全に懐メロなんだなって気づいた。

そんな中、私の一番のお気に入りは「しようよ」。

これは「HEY!HEY!HEY!」出演時。

これはMステ。YouTubeにもあがってるけど、消されたら嫌だからここには貼らない。

君がいなけりゃ淋しい

超懐かしい。超どストレートで今も胸に響く。こんなに直球で素直な曲をSMAPはもう歌わないけど、昔のナンバーは思い出深いのが沢山あるんだよね。

でも、その反面ここ10年は自分の中であんまり印象残ってる曲がなくて。
慌てて動画サイトで探して聞いてみたけど、聞き覚えのあるフレーズがあっても曲名がわかんなかったり、全然知らない曲とか結構ある。昔はみんなで歌える曲が多かったけど、最近リリースしてるのはどれも高いスキルが必要な曲ばっかりでちょっとビックリした。SMAP自身が歌い切れてないのとかあるし…。でもいい曲が意外に多くて、「シャレオツ」や「華麗なる逆襲」はすっごいリピートしてる。
SMAP人気が完全に定着した時代、いわばセロ年代以降は私の大学&社会人時代と重なる。忙しくて、ほとんどテレビ見てなかった。見てもニュースばっかりで、「スマスマ」なんてフルで1時間見た記憶がない。だからかな、こんなにわからないのは。

「しようよ」見てると、メンバーがみんな若くって。Mステ版の映像では特に吾郎ちゃん、草なぎ剛香取慎吾の三人がかわいい。体型とか髪型の違いもあるけど、今では皆、顔にはほうれい線や目尻の皺が目立つようになった。彼らの加齢を見てると、自分が年取ったのも当たり前だなって思う。納得する。
彼らは年齢が私より10近く上で、いわば一世代上。さらにどう年を重ねていくのか、個人的にすごく興味がある。5人揃って見続けたいんだけど、どうなるかな。5人じゃなくなったら、やっぱり淋しいな。

本格小説 | 水村美苗(新潮社)

嵐が丘」を読み終わってから、何としても「本格小説」を再読せねば、と思っていた。
数年ぶりに読み返したのだけれど、この本を読むと必ずこの小説の世界に引きずりこまれてしまって、読み終わってしばらくは放心状態になる。もう何度も読んでるのに読むたびに魂を持っていかれるロマン小説。

本格小説〈上〉 (新潮文庫)

本格小説〈上〉 (新潮文庫)

本格小説〈下〉 (新潮文庫)

本格小説〈下〉 (新潮文庫)

この小説が刊行された当時の書評では「階級小説」という言葉がよく使われていて、「ふーん」と心に留めながらも実は余りピンときてなかった。ただの恋愛小説だと思っていた。でも改めて読み返してみて、今回初めて「階級小説」という言葉の意味が理解できた。「嵐が丘」を読んだから、というよりは、私が少し大人になって、ある程度社会の構造が見えるようになったからだと思う。むしろ今まで何でそこを読み取れずに来られたのか、それが不思議。

この物語の階級の頂点は重光家、その次に三枝家と続くけれど、この三枝家の中にも階層がある。まず、三枝三姉妹の長女の春絵と次女である夏絵の嫁入り先の格が違う。宇田川家は三枝家よりも格で劣る。そして夏絵が嫁いだ宇田川家だけれど、姑は後妻でかつては芸者だった女性なので、彼女も元々は宇田川家と同じ階層の人間ではない。また、三枝家の美人な血筋を受け継いだ夏絵の長女ゆう子と、その血筋を不思議と受け継がなかった美しいとは言い難い次女のよう子も同格ではない。つまり宇田川家内でも、夏絵の旦那と夏絵、夏絵の姑、そして夏絵の娘のゆう子とよう子で、それぞれに格が異なる事態が発生している。そして、そこに宇田川家に住み込みの家政婦として勤め始める長野の農家出身の富美子と、隣に越してくる満州から引き揚げてきた純潔の日本人ではない太郎が加わる。周到にグラデーション状に構成されたこの階級階層は、物語が進むにつれてそれぞれの色を濃くしてゆく。

よう子が死の淵で太郎との関係を「これ以上なかった」と言ったのはなぜなのか、どうしてよう子と太郎は結婚できなかったのか、昔の私には理解できなかったけれど、今回は胸が締め付けられるほどによう子の気持ちが私にはわかってしまった。
よう子と太郎は、生まれついた世界が違う、ただそれだけのこと。
よう子にははっきりと太郎との境界が見えていた。もちろん太郎も然り。それでも太郎はその境界を超えたかった。アメリカでどんなに成功して帰って来ても、出自は変えられない。出自を問わず太郎を迎え入れ、アメリカン・ドリームまで与えたアメリカとは対照的な日本の姿が見える。恐ろしいほどに切ない。

あからさまには見えなくとも、日本の社会にもひっそり連綿と続いている階級(生まれながらの格差と言い換えてもいい)というものに、普段は私も無頓着だけれど、こうしてまざまざと見せつけられると凄まじいものがある。 時代のタイミングや持ち金を増やすことによって、階級を超えて行けるように見えて、実際はそれができない。生まれついた瞬間からの、絶対的に超えられない境界があって、そのうちにいる者はその境界に非常に敏感だ。そして外側の人間が壁を越えて来ることを強烈に阻む代わりに、彼らには没落がある。その階級を時代の流れと共に維持できなくなるのである。盛者必衰、とはよく言ったもの。かつては上流だった一族が少しずつ、中流に溶けていく。 三枝三姉妹のかけがえのない軽井沢の別荘(重光家の別荘も含む)が、後年太郎の財力によって維持されていたのは皮肉だ。冷酷なパラドックスだ。

この物語で語られるのは階級だけではない。愛情も特異に描かれている。そこについても少し。

太郎と結婚しなかったよう子は果たして冷たい女なのか。そう問われれば、私は違うと答える。彼女は二人の男を平等に愛しきった。それはそれで、ある意味で恐ろしい女とも言える。
物語の終盤、よう子が雅之と喧嘩して家出した時、なぜ太郎との思い出がある追分ではなく、軽井沢の別荘に彼女が向かったのか、かつての私にはわからなかった。そして、追分ではなく「軽井沢だと思う」と、なぜ太郎がいち早く悟ったのか、も謎だった。でも今回はっきりわかったのは、太郎と喧嘩した時は太郎との思い出がある追分に逃げ込み、雅之と喧嘩すると雅之との場所である軽井沢に逃げ込む、よう子独自のフェアな愛情だった。雅之はどこかで太郎に引け目を感じていたかもしれないけれど、太郎はよう子の雅之に対する大きな愛情を知っていた。だからこそ、彼はよう子の場所を知り得たのだ。 よう子と太郎と雅之と拮抗したトライアングルで絶妙にバランスの取れてしまった関係。お互いの取り分を男たちはよく理解している。二人に愛されたよう子は、若い頃は上流社会では負け組だったけれど、後年不思議と逆転勝ちした女になった。

そしてこの物語の語り手である富美子。
はじめて読んだ時から、富美子と太郎の関係に実はひっかかるものがあった。アメリカから帰ってきた太郎と富美子が15年ぶりに再会する場面、会話が少しおかしいと感じていた。妙な違和感を覚えながら読み進んでからの、最後のどんでん返しになるのだけれど、その切なさは太郎が抱え込んだものとは別の種類の切なさだ。ここに階級差はない。ひとりの女として、「よう子ちゃん」にはなれない富美子の切なさがある。
構成上必然とも言えるが、私は富美子に肩入れして読んでしまった。結末を知っていても、何度読み返してもいつだって、私は富美子となって物語の中に入り込んでしまう。作品自体は壮大だけど、結局のところ、地方出の女の、少し変わった切ない半生の物語のような気がしてならないのである。

今年という年は…

芸能界なんてそんな興味もないんだけど、とにかく今年は驚くニュースが目白押しで、暇な身分としてはしらみつぶしにヤフーニュースを読んでしまうほどには腐っている。
そんな中、飛び込んできた清原逮捕のニュースに絶句している自分。
大してファンでも贔屓でもなかったくせに、驚きとドン引きが合わさって、SMAP解散報道以来の衝撃だった。
ココだけの話、私が野球選手で一番初めに名前を覚えたのは清原だった。確か小学館の「小学二年生」か「小学三年生」に出てたインタビュー記事を読んで、野球選手という職業を初めて認識して、そのインタビューを受けていたのが清原だった。彼はまだ西武の選手だった。

風と共に去りぬ | マーガレット・ミッチェル(新潮文庫)

昨年の年末から今年のお正月過ぎにかけて、一気に読み終えた「風と共に去りぬ」。

風と共に去りぬ (1) (新潮文庫)

風と共に去りぬ (1) (新潮文庫)

映画にも圧倒されたけど、原作はさらに濃厚で、特に南北戦争の凄惨な戦場、銃後の世界の貧困・飢えが私を圧倒した。この作品は一級の反戦小説だと思う。

スカーレットはなぜあんなに魅力的なのか。大胆かつタフな女で、短絡さと利口さが紙一重なキャラクター。戦争中・戦後の試練を次々と身一つで乗り越えて、土地と家族を守った、その凡人離れしたパワーに憧れる。誤解を恐れずに言えば、優しさや誠実さと無縁な彼女が眩しすぎる。腹黒さも事の真理も、馬鹿正直に口にする明け透けさに嫉妬する。
そして、そんなスカーレットに思いを寄せるレット・バトラー。すべての先が見通せて、どんな修羅場も何なく超えてきたようなこの男も、結局最後までスカーレットを手に入れることはできないのだから、見てるこっちが苦しくなる。

色々書きたいことはあるけど、まとまらない。映画を見返したいけど、今手元にデータがない。
見返せるのは秋かな。

風と共に去りぬ [Blu-ray]

風と共に去りぬ [Blu-ray]




今回は大久保訳で読んだけど、鴻巣版、荒版も気になる。別版にトライしてみたい。

風と共に去りぬ 第1巻 (新潮文庫)

風と共に去りぬ 第1巻 (新潮文庫)

嵐が丘 | エミリー・ブロンテ(新潮文庫)

高慢と偏見」を読んでから私の中で古典に対する敷居が低くなったこともあり、長年読まねば読まねばと思いながら後回しにし続けてきた「嵐が丘」をやっと手に取った。我ながらいいタイミングだったと思う。結果として、私のこの作品に対する印象はあまり良くはないんだけど、「高慢と偏見」の後だったから私のこの印象が時代のせいじゃなくて、単純に作品との相性のせいだって思える。

嵐が丘 (新潮文庫)

嵐が丘 (新潮文庫)



実は私の中ではもう10年も前に先に読んでいる、この作品を下敷きに書かれた水村美苗の「本格小説」があるので、読みながら無条件にヒースクリフトとキャサリンが東太郎とよう子ちゃんに変換されてしまって、純粋な形ではこの作品を読めていないと思う。ヒースクリフトの異常なまでな執着の強さと凶悪さ、頑なさを、東太郎と比べてしまって、私の中でなかなか受け入れられず、読みながらつっかかってしまって仕方なかった。キャサリンも同様で、キャサリンのどっちつかずのわがままさ、気まぐれさ、キツさ、がよう子ちゃんよりだいぶ強い形で書かれているので、ちょっと私と小説の間の距離を縮めることが難しかった。印象があまり良くないのは、多分そのせいだと思う。

でも、最後に光が差して心底ほっとした。この一族たちは本当にどうなっていくのかと読みながら鬱々としたけれど、「本格小説」とは違うラストを迎えて、私の中では納得できた。よかった。
この作品を20代で書き上げたエミリー・ブロンテは凄い。憎しみの連鎖が続いていく物語を書きあげた彼女の創作の孤独を考えると、正直私はヒースクリフと以上の凄まじさを彼女に感じる。