コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

行く、行った、行ってしまった | ジェニー・エルペンベック(白水社)

ベルリンに辿り着いた難民たちと東ベルリン出身の元大学教授リヒャルトの交流を描いた作品。
メルケルの政策もあってドイツは比較的難民を受け入れる土壌のある国だと思っていたのだけど、大きな誤解だった。

難民一人一人の人生に触れて、リヒャルトの価値観が少しずつ変わってゆく。
ラストはどうしてあの終わり方だったのか、しばらく考えていたのだけれど、一番近しい他者を理解できなかった後悔なのでは、と私は思った。

この体に流れる血は持って生まれた者であり、好むと好まざるとにかかわらず、変えることなどできない。リヒャルトの友人モニカの息子の妻は、東西ドイツ統一後に生まれた子供に乳をやるたびに、自分が飲むコップ一杯のコカ・コーラが体のなかで母乳に変わるという奇跡に驚嘆していた。
同様に、友人たちのなかでそれほど裕福でない者ですら、いまや台所に食器洗浄機を持ち、棚にはワインボトルを貯蔵し、窓には二重ガラスを入れているのが本当のところ誰の功績なのかという問いには答えられる者もいない。だが、自分たちがこれほど恵まれた暮しをしているのが自分たち自身の功績でないならば、同様に、難民たちがあれほど恵まれない暮しをしているのも彼ら自身の責任ではない。


ガーナ出身のカロン。幼いころから貧困と搾取にさらされ、働いていたリビアでクーデターが起き、難民となって辿り着いたのがベルリン。

俺は前を見て、後ろを見るけど、なにも見えない。
俺は前を見て、後ろを見たけど、なにも見えなかった。
カロンの心配は、もはや希望を持つことを恐れるほどに彼を侵食しているのだ。


難民たちがスクラムを組んで助けあう際にリヒャルトの胸に湧き上がる思い。静かな感動がある。

友達は、いい友達ってのは、世界一いいものだ。


選びえない人生を生きている彼らを”難民”と判断し、受け入れ可否を選ぶ”私たち”は一体誰であるのか。

自分が、関わる現実を選び取ることのできる、この世界で数少ない人間の一人であることを、リヒャルトは自覚している。