コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

わたしに無害なひと | チェ・ウニョン(亜紀書房)

昨年の読みたい本リストに入れていて、図書館で見つけて借りてきた。
友人や家族との生活の中で韓国社会を告発するエピソードばかりだけど、日本で女として暮らす自分も他人事ではない感じで、一気に読んでしまった。

主人公として設定されている彼ら/彼女たちは私と同世代だと思う。チェ・ウニョンもそう。10代20代を通り過ぎたからこそ、いま俯瞰して客観的に振り返れる。懐かしさではなく、ひそかに自分が傷ついていた事実と誰かを傷つけた記憶。
家庭内で優遇されるのは男。結婚すれば男児を生まなければならないプレッシャーがあり、夫婦間の上下関係にも他人が口をはさんでくる。男児を産むのは女なのに。子を産めない女の居場所なんて想像したくもない。
しかし女から優位を誇れる男たちの間にも階級や優劣があり、パワーゲームがある。常に誰かが誰かの上に立つ。
優劣の判断を迫られる世界で、どう他人をいたわれるのだろう。余裕のない社会で、どう他人に優しくなれるだろう。
取り巻く世界に疲れ果てて、親しい人たちと距離ができ、たとえば誰かを思いやれない行動をとったとして、誰が責められるのか。
小説の世界からはもしかしたら脱線してしまうような、とりとめもない思いが次々に湧き上がった。

「祈りが届く世界ってさ、たぶん私たちが生きてるこの世のことじゃないんだろうね。」
今さらなにを言っても言い訳にしかならないけど、それでもベストを尽くして言い訳してみたい。
何事もなかったように三十歳のハードルを越え、最初からずっとその年齢で生きてきた人みたいにしらばっくれるとも、チェ・スンジャの詩集を読みながらかろうじて持ちこたえていた二十二歳の秋みたいなものは、若き日の幼い感傷だと過去の自分を評するとも知らなかった。
絶対に傷つけたくない人を傷つける可能性もあるという恐れ。それが自分の独りよがりにもなり得るという事実は、私を用心深い人間にした。<中略>私の引力が誰かを引き寄せるかもと不安で後ずさりした。
―私、変わるから。今よりましになったら会おう。