コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

フルタイムライフ | 柴崎友香(河出文庫)

新入社員の10か月を淡々と描いた小説。
読み始めたときは、「あっやばい、つまらないかも」って思いがさりげなく頭をよぎったんだけど、読み進めてみればさすが柴崎友香、終盤は本の中に吸い込まれるようにして読んだ。

フルタイムライフ (河出文庫)

フルタイムライフ (河出文庫)

主人公の喜多川春子はメーカー勤務の事務を担う内勤職。与えられている仕事は、社内報の作成という広報の仕事もあるけれど、会議の記録を録ったり、会議書類をコピーしたり、上司の出張チケットを確保したりといったサポート業務がメイン。
桜井さん、長田さん、水野さんといった三者三様の女性の先輩と、のらりくらりとした雰囲気の山口課長、少し厳しめの浜本部長、その他にも西田常務や定年近い西川さんといった人たちが春子と同じ職場で働いている。

電話が来るタイミングとか、用事をたくさん頼まれて時計を見ながら焦ったり、山口課長から急な依頼に女性社員が嫌味を言いながら受けたり、コピー機を横取りされるところとか、ひとつひとつのエピソードを読むたびに、「ああ会社だなー」と自分が会社で働いていた時間がフラッシュバックして懐かしかった。特に山口課長みたいな上司、私の勤めてたとこにもいたもん。いきなりぽろっと情報提供して反応見る上司。
会社って学校とは違うけど、気が付けば色んな年代とバックボーンを持った人と家族以上に時間を過ごす場所。知らないうちに、思いがけず、人情が発生してしまう。働き始めてしばらくして、私もそのことに気付いて驚いた。
そしてそんな職場の出来事や人間関係以外でも、例えば春子が座っているのは、春子が勤め始める1か月前に辞めて行った前任者のデスクで、そのデスクにはまだ彼女の残していったスヌーピーのペン立がある。自分の記憶の中にある景色と、この小説の中にある景色は全く一緒ではないんだけど、何となくリンクするところが沢山あって、そういうのがあるからこそ、ものすごいリアリティを感じて知らぬうちに小説の中に吸い込まれてしまう。
柴崎友香という作家は、常に何気ない些細なリアリティのある描写で、読み手との距離を縮めていく。

この小説は結局何が言いたいのかな、と少し思ったんだけど、多分本当はテーマなんてないんだけど、敢えていうなら会社員賛歌かな、と。
仕事自体は地味でスキルなんかつかなくても、社会的に必要な仕事や雑務なんかをきっちり裏で支えている人がいる。そういう役目を担う人がいるからこそ、この世界は廻っている。会社員て漠然としてて、実際どういう仕事をしてるかなんて人様々なんだけど、会社員に対するささやかな敬意を感じる。柴崎友香もかつて会社員だったからかもしれない。

ライブハウスで音楽を聴きながら、美大を出ながらも自分が選んだ会社員の道を緩やかに肯定する春子がいい。

必要なのは、なにかするべきことがあるときに、それをすることができる自分になることだと思う。桜井さんみたいに。樹里と篠田くんとTシャツを作るのも楽しそうだし、また明日会社に行って桜井さんや長田さんと仕事しながら組織改編に文句をつけたりするものきっと楽しい。きっと、それでいいと思う。

会社が傾き始めて、桜井さんと水野さんが年度末で退社することが分かったあとの、長田さんの一言もいい。

工場異動でもわたしはいいよ。会社なくなるまでおる。


幸せはその人自身が決める。自分の生きている人生に時々立ち止まりながらも、それでもやっぱり肯定していく人たちが素敵だと思う。