コーヒー3杯

紙の日記が苦手だから。

『ハングルへの旅』を読んだよ

茨木のり子がハングルを勉強してたと知ったのは、つい先日のこと。知ったときはとても驚いたし、著作に興味がわき、近所の本屋で偶然本書を見つけて買い求めた。

本書の刊行は1986年なので、もう35年も前のエッセイになるのだけど、語学を学ぶ姿勢の瑞々しさと、かの国への尽きない興味関心、そして日本との歴史的関係に対する彼女の思いが真摯に記されていて、むしろとても面白い。時代の違いは感じない。

私は学生時代にはフランス語、社会人になってからロシア語、そして昨年からは中国語を学び始めた(英語はツールとして必要なだけなので積極的に学んでいる類からは除外)。フランス語はもうあまり覚えていないけれど、ロシア語、中国語は今も続けている。だから彼女のエッセイに共感するところが多かった。せっかく現地で言葉を使っても発音が悪く通じない、派生単語に困惑したり、単語に日本語との共通点を見つけて嬉しくなったり。彼女の喜びや悲しみが、自分が四苦八苦している姿に重なるのである。

そして同じ教室で学ぶ人たちとの友情も興味深く読んだ。私にも少なからず、語学教室で一緒になり交流が続いている方たちがいる。教室でともに学んだあの一体感はなんと説明すればいいんだろう。同じ道を歩む同士というか。目指すゴールは微妙に違うが、ハイハイしながら、つかまり立ちをしようと必死になっている。その姿をお互いに知っている仲である。

最後に尹東柱についての章がある。
大学時代になにかの授業で読んで強く印象に残った詩「たやすく書かれた詩」(なんてタイトルだ - しかし胸を打つ)が載っている。彼について、私は詳しく知らないのだが、いつか読もうと思っていた彼の詩をこのエッセイの中に見つけて、自分の朝鮮に対する興味は大学時代にはすでにあったのだ、ということを思い出した。彼の他の詩をいつか読んでみようと思う。

ハングルに興味があってもなくても、朝鮮半島に興味があってもなくても、語学を学んでいても学んでいなくても、茨木のり子のハングル全てに対する熱くて少しミーハーな思いに打たれると思うので、この作品は是非お勧めしたい。
読み終えたら、すぐにでも隣の国への旅行計画を練りたくなるが、それが今できないことが残念だ。

ハングルへの旅 (朝日文庫)

ハングルへの旅 (朝日文庫)


最後に、印象に残った個所を列挙するよ。

これまでの隣国に対する日本の態度について

柳宗悦は書いている。
「その美術を愛しながら、同時にそれらの人々が、作者たる民族に対して冷淡なのに驚かされる」と。
美術と言葉とは直接の関係はないけれども、(略)言葉を学ぼうとすることは、この<冷淡さ>の克服につながろうとする、一つの道ではあるかもしれない、と思っている。
関東大震災の折、朝鮮語の(略)特徴を逆手にとって、不審なものを呼びとめて「五十五銭と言ってみろ」とやった。「コジューゴセン」と答えた者をひっとらえ、虐殺したことは消すに消せない忌まわしい記憶である。

言葉を学ぶことは他者を知ろうとすることだと私も思う。誰か(それは国と置き換えても良い)を知ろう、理解しようとする意志は、その人に対する思いの始まり、スタート地点である。
彼女は過去の歴史を振り返りながら、言葉を学ぶことでそれを「個人」として克服しようとしている。

彼女が韓国語を学ぶ動機を紹介する章で、動機はひとつではなく、うまくは答えられないとしながらも、

隣の国のことばですもの

と答えるようになった、というくだりを読んで、彼女に対してもう全幅の信頼しかない。

外国語の深い森について

入口あたりではやさしそうだが、中に進むにつれ、森の大きさ、深さ、暗さに踏みまよい、とんだところに入りこんでしまったと、愕然とするのは何国語であれ同じだろう。
ほんとうに外国語の森は鬱蒼としている。そして言葉の奥行が深くなればなるほど、その国の人たちとのかかわりも深くなり、やがて、愛憎こもごもとなってゆくようだ。

言葉を学ぶことの奥深さよ。学んでも学んでも終わりはなく、むしろ自分の拙さを思い知らされる。でも、森に迷い込んだらもう戻れない。戻りたいとも思っていないから。

東アジア言語の音の共通点について

関係という感じはクゥワンゲーと読む。日本語でも昔はクゥワンゲーだったろうし、三木元首相などさかんに連発していた。しかし今は一般にカンケイと言うし、音の構造がどんどん単純化されてきている。昔の日本語はもっとずっと音素が多彩に区別されていた。
朝鮮半島の漢字読みは、中国の南北朝時代の音が多く入っているという説や、明末までのいろんな時代の音が入っているという説などさまざまであるらしい。 日本は呉音を採ったとよく言われる。
新羅百済高句麗の三ヶ国の人と日本人が、両国間を頻繁に往来して、軍事、政治、文化上の交流や交渉を持ちながらも、彼らの間において言語上の障害を問題視した記録が、七世紀後半までは史書に見当たらない」

「関係」をつい最近まで「クゥワンゲー」と読んでいたとは知らなかった。中国語で「関係」を意味する「关系(guānxi)」と音が似ている。万葉集の時代は今と違い、日本語にはもっと複母音があったとも書かれていて、「へえ!」と驚いた。
古代では中国と朝鮮半島、そして日本はどのように意思疎通を図っていたのか、自分もずっと気になっていた。もしかしたら漢字だけでなく、発話においても似たような音を使っていたのか。
いま、自分が学んでいる中国語は発音や音の作りが難しいと感じるのだけれど、かつての日本も同じ音を採用していたのかもしれない、と想像すると、愛おしくなる。中国語をもっと頑張ろうと思える。不思議。

ユーラシアの西と東の出会いについて

ユッケは、赤身の肉をこまかく叩き切った、牛肉の刺身で、ドイツあたりでよく食べるタルタルステーキとまったく同じ。タルタルステーキは「タタール人のステーキ」という意味だそうで、中央アジアタタール族の調理法が西と東に伝播したわけだ。

タルタルステーキが「タタール人のステーキ」だってことも、ユッケがもともとは「タタール人のステーキ」に由来していることも知らなかった。
学生時代、フランスに留学していた時に食べたいけれど食べると必ずおなかを壊すのがタルタルステーキで、美味しそうに食べる友人たちを恨めしく思っていたけれど、その10年後に自分は今度は中央アジアに滞在することになり、そこでタタール人をはじめて知った(でも「タタール人のステーキ」は知らない)。
気が付いてみればもうずっと、自分はユーラシア大陸雄大さに圧倒されて来て、西と東の繋がる瞬間を発見するたびに静かな感動がある。

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余談だけど、彼女がエッセイに記しているのはソウルオリンピック開催前夜の韓国。ドラマ「応答せよ1988」の時代設定ときっと重なる。 私は見始めてテンションの高さについていけず脱落したんだけど見直してみるか……。(いい役者が出てるんだよな)

応答せよ1988
応答せよ1988

ネトフリ、U-NEXTで見られるよ。