日記(4/29 - 5/1) イルファン・カーンのこと
4/29
しなければいけないことはあるけど気分も乗らず、何となくiPhoneにどう森をインストールして、10年ぶりにどうぶつの森へ。
メインの活動がキャンプ場しかなくて、10年前とゲームの内容が結構変わったなーと思ってたら、スマホ版がキャンプバージョンなだけで、自分が10年前にプレーしてたどう森はSwitchへ世界を映していた。
夜にTwitterでイルファン・カーン死去の報を知る。
4/30
NYTにもイルファン・カーンの追悼記事が出た。
www.nytimes.com
5/1
本日は有休。
個人的にイルファンを追悼したくて、アマプラで「その名にちなんで」を視聴。
ジュンパ・ラヒリの小説は読んでいたけど内容は覚えていなかったから、「こんな話だったかな」と思いながら見た。
2000年代中ごろに撮影されたはずなのに、作風が90年代の作品みたいだった。舞台が80~90年代というのはあるけど。
私の一番はなんといっても「めぐり逢わせのお弁当」である。
coffee-break.hatenablog.jp
日記(4/11)
4/11
U-NEXTで「八月のクリスマス」を見る。1998年作品。
やさしさに包まれるような、良い作品だった。人との距離感が心地いい。
八月のクリスマス デジタル・ニューマスター版 スペシャル・コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD]
- 発売日: 2014/08/06
- メディア: DVD
そして、NHKで再放送してたのを録画してた「井上ひさしのボローニャ日記」も見る。 www4.nhk.or.jp
井上ひさしが動くのを初めて見た。穏やかな優しい感じのおじさん。
彼は取材ノートをこまめにつけてるんだけど、その丸っこい筆跡がかわいらしい。万年筆で無地のノートに書いてる。買い物レシートもパンフレットも挟み込んで、14日の取材後はノートもパンパン。
そしてそのノートを滞在中肌身離さず持ち歩くんだけど、トートの一つでも持っとけばいいのに、彼のノートは小さなビニールバックに仕舞われていて、それを両手で抱きしめるようにして歩く。
ボローニャという街に私も興味を持ったので、コロナが終息したら、本屋にこの本を引き取りに行く。
- 作者:ひさし, 井上
- 発売日: 2010/03/01
- メディア: 文庫
日記(4/9 - 4/10)
4/9
コロナの影響で芝居中止の報が続く。自分が2月末に本多劇場へ観に行った「往転」でもマスクの着用を呼びかけられての観劇だったし、ついにここまで来てしまったという感じがする。
作った芝居を誰にも見せずに終わらせるということは、その芝居を殺すのと同じことだ。我々は苦労して生み出した芝居を世に出さず、育てず、生まれた途端に自分たちで殺してしまった。
www.asahi.com
今日の作業BGM。
くるりをしばらく聞いていなかったけど、こんな曲も作っていたのだな。
MVは私の大好きなウィスット・ポンニミットによるアニメーション。
4/10
4/7に申し込んだceroのライブに当選。
こんな状況だけど、6/27に日比谷に行けることを祈っている。
日記(4/3 - 4/7)
4/3
テレワークもすでに1週間。
昼食を食べながら「徹子の部屋」をダラダラとみる。ゲストはいしだあゆみと和田アキ子。
いしだ「歩いているときは寂しくないんです。」
黒柳「寂しいときがあるの?」
いしだ「……寂しくても歩いてると空っぽになれるんです」
4/4
ユニクロに行くために久しぶりに外出する。自転車で川沿いを走ると桜が満開。さすがにシートを敷いて花見をしている人はいなかったけど、桜を見るためにたくさんの人が川沿いを歩いてた。
4/6
ロシア語教室の前期開講が延期されたとの知らせが先生から届く。
非常事態宣言が出される前から4月の開講は難しいんじゃないかと思っていた。残念だけれど仕方ない。
先生に返信するメールは何度も書き直した。単語の間違いやスペルミスがないように、言葉の使い方を間違えないように。先生が自分のメールを読んで悲しまないように。先生は自分より10歳くらい年下だけど、気持ちはまるで先生の子供。それはたぶんもう一人の生徒さんも一緒。
4/7
テレワークしながら、だらだらとYoutubeでceroの音楽を聴く。
そして「街の報せ」のMVがしみじみと今の自分に沁み入る。
cero / 街の報せ【OFFICIAL MUSIC VIDEO】
少し前は何てことないカットの連続に見えて面白さを感じなかったのに、この「何てことない」風景をたくさん切り取ってつなぎ合わせた映像と「愛しているよ」という歌詞に圧倒的な尊さを見る。
途中に朝鮮学校のカットも差し込まれる。そこに意図があろうとなかろうとどうでもよい。それを「何てことない」風景として差し込んだことはとてつもなく正しい。
唐山大地震(2010年/中国)
1976年に中国の唐山市を襲った大地震によって引き裂かれた家族の物語。
父は地震で亡くなり、姉ファン・ドンは手違いから別の家族に引き取られる。残された母と弟ファン・ダーの二人は地震後の唐山市で暮らす。
家族の在り方とはなんと難しく、歯がゆいのか。
1976年、1986年、1995年、そして2008年と時代を重ねていくが、母、姉、弟の気持ちは微妙にすれ違い続ける。それは姉ファン・ドンを引き取った義父母も同様だ。みんながそれぞれ互いを思っているのに、どうして相手を孤独にしてしまうのか。どうして一緒にいられないのか。
そこには母や義父母から自立しようとするファン・ダー、ファン・ドンのそれぞれの姿と親たちの子離れの姿がある。
登場人物の中で私が強く心を動かされたのは、ファン・ドンの義父。彼はファン・ドンの選択を常に尊重する。彼女を引き取った直後から彼女に寄り添い続けた。彼の大きな愛に包まれていることを自覚しているからこそ、ファン・ドンは家に帰れなかったのだと思う。やっと帰ってきた娘はしかし、新しい夫とカナダへ居を移してしまうが、そのときも彼はきっと温かな笑顔で送ったのだろう。
そして、不器用なファン・ダーの母への愛にも触れたい。彼は彼なりに母を思い、母のためにと思ってしていることが時にから回る。妻よりも母を優先する姿には閉口するが、頑なでどこか入り込めない母を喜ばせるためだと思うと、彼をいじらしく思わずにいられない瞬間もあった。
舞台が2008年に移行しても、1976年以来、離れ離れのままの家族はまだ出会わない。ファン・ドンに唐山の家族を探す意思がないため、このまま家族は再会しないまま終わるのかと思っていた。しかし、ファン・ドンとファン・ダーは四川地震の被災地にそれぞれ救援に入り、そこで再会する。
うまいと思うのはその決定的な場面をこの映画は描かなかったこと。
ファン・ドンとファン・ダーの再会した瞬間は想像にまかされる。出会う直前の次の場面では、ファン・ダーの借りたバスに乗ってファン・ドンは唐山の実家に向かっている。二人に特に会話はない。すでに互いに大人であり、微妙な距離感で会話を交わす。この温度がとてもいい。
実家へ戻ると、母がファン・ドンを出迎える。母は泣く。父とファン・ドンの墓へお参りに行くとファン・ドンも泣く。ファン・ドンの母への誤解が解けて、家族が再び集う場面だが、私の心を揺さぶったのは、やはりファン・ダーである。家にファン・ドンを迎えた際はバタバタと彼女の遺影を外し、墓へ行けば墓穴を開けて、母が彼女へ残したものを見せる。相変わらずのぶっきらぼうな態度で彼が示しているのは、ファン・ドンを歓迎する気持ちと、ずっと変わらずに姉を思い続けた母への敬愛だ。
家族を失くした者、家族と離れざるをえなかった者もつらいが、母のもとに残された彼もきっとつらかった。女二人は泣いたが、ファン・ダーは一度も泣かないし、どこか醒めたところから、彼も間違いなく家族を思っていたことが垣間見えて、わたしは泣きそうになった。
日記(3/30 - 3/31) コロナのこと
3/30
志村けん死去の報。速報が飛び込んできたのは朝。小さなころはすごく好きだったけど、大人になるにつれて、セクハラに近い笑いと相容れなくなってきて実は少し苦手だった。でも、一日中多くの報に触れて、夜になるにつれ、どんどん寂しさが増してきてしまって困った。ご冥福を。
3/31
リモートワーク2日目。週末の自粛を数えると4日も外出していない。
仕事を終えた後、沿線の数駅先までパンとおやつの和菓子を買いに遠出した。人手は少なくなっているのかと思いきや、いまもまだ多くの人は通勤していた。ちょうど帰宅ラッシュの時間で、久しぶりに電車に乗って他人を感じた日。
コロナの感染が次第に広がっている中、都市封鎖も間近なのかどうか。最近考えるのはコロナ前とコロナ後のこと。コロナがいつ収束するのかはわからないけれど、コロナ前の世界に果たして私たちは戻れるのか。
たとえば、マスクをどのタイミングで外すのか。パン屋でかけ始めた陳列棚のパンカバーはいつ外すのか。テレビのニュース番組のアナウンサーたちの距離はいつ縮めるのか。映画館のシートはいつ詰めるのか。
予防のために変わった世界を元通りにするには別の労力と勇気がいる。それとも、もう戻れないのか。そんなことをリモートワークしながら、つらつらと考える。
再会の食卓(2010年/中国)
かつての国内共戦のために、中国と台湾の間で生き別れになった家族の物語。
台湾で暮らしている元夫イェンションが上海で暮らす元妻ユィアーに40年ぶりに便りをよこし、会いたいという。けれどユィアーには現在の夫と子供たちがいる。
イェンションの「一緒に台湾へ」の誘いが、ユィアーの再会後すぐに発せられて、こちらとしては少々面食らったけど、すぐに同意するユィアーにも驚いた。40年没交渉だったふたりなのに、こんなにもすぐにわかりあえるものなのか。それとも若い頃の熱い愛情は永遠に純度を失わないものなのか。優しい夫のルーを一体どうするの、と思ったけれど、そういえば「ナビィの恋」のおばぁだって、かつての恋人が現れたらあっという間に心を決めて、優しいおじぃのもとを去っていったのだった。おじぃとおばぁだって長い間連れ添った夫婦だった。私にはわかりえない業がこの人たちにはある。
ユィアーの意思を尊重してルーは離婚に反対しない。離婚手続きを粛々と進めていくルーだけれど、食堂で家族が会したときにはくだを巻く。酔っぱらったルーの語りはユィアーと出会った時のこと。
最終的にイェンションとユィアーは台湾へ一緒に行くことを断念するが、それを伝えるイェンション、ユィアー、そしてルーで囲む3人の食卓では、今度はイェンシェンの思いが溢れる。
二人がともに語っているのは、戦争によって選択した人生のこと。後悔とは少し違う。40年前に失ったものを取り戻そうとしても、これまで積み重ねてきた時間を思い、運命のやり切れなさに戸惑っている。
しかし、この年老いた3人はただ悲しみには流されない。食べて飲んで歌って、いろんな思いを穏やかに共有する3人の食卓は尊い。
作品が公開されたのは10年前。撮影はもっと前だろう。
上海の古い街並みを映像に残す気概もあったのか、この映画はユィアーたちの暮らす下町の風景をいろいろな角度から捉えている。この町並みは今も残っているのだろうか。それとも消えてしまったのか。
上海にはやはり、いつか行ってみたいと思う。