日記(6/30)
前回の日記から1カ月以上たってしまった……。まだ在宅勤務は続いている。
あしたから7月。2020年の後半戦。
6月に読み終えた本
昨年マレーシアに行ってから、無性に読みたかった本。昨年末にブックオフで見つけた。 呑気なように見えて、マレーシア、シンガポール、インドネシアを周遊して彼がみた景色は、搾取される人々の姿だったように思う。それはマレー人でもあり、大陸から渡ってきた中国人でもあり、インド人、そして流れてきた日本人でもある。読んだそばからムンとした熱気と湿気が臭い立つよう。東南アジアは楽園という訳ではなかったのだ。6月に見たドラマ
琅琊榜、琅琊榜弐を見終えた。
キャラクターの強さと全体的なまとまりは1作目に軍配が上がるけれど、衣装や映像などのクオリティは圧倒的に2作目のほうが素晴らしかった。この2年の間に何があったのか…と訝ってしまうほどにかかっている金額が違うように思う。
琅琊榜弐は実は途中まで気持ちが盛り上がらなかったのだけど、元啓の行く末が気になって見てしまった感じ。主役の平旌には入れ込めなかった。これまで見てきた中国ドラマの主役ではなく、日本のドラマの主役をはるようなキャラクターで面白くなかった。
アマプラで見た。
琅琊榜(ろうやぼう)
琅邪榜(ろうやぼう)~麒麟の才子、風雲起こす~ コンパクトDVD-BOX1<本格時代劇セレクション>
- 発売日: 2018/12/19
- メディア: DVD
琅琊榜(ろうやぼう)<弐>
本日買ったチケット
6月27日(土)は中止になったが、7月18日(土)に配信ライブがある。早割でチケット買ったよ。お家で見るよ。 cero-web.jp
NHKハイビジョン特集「アフリカ縦断114日の旅」ふたたび
この外出自粛要請が続く中、NHKもとうとう放送するコンテンツのストックが切れたのか、なんと2008年放送の「アフリカ縦断114日の旅」の再放送が始まっております。
放送は毎週火曜日の午後4時26分からNHKプレミアムで。
すでに第2回まで放送は終了しているので、残すは第三回と第四回です。
www2.nhk.or.jp
当時の出演者たちも、まさか2020年に再放送されるとは思わなかったでしょう。
自分の知らない世界に出会いに行くときの、わくわくした気持ちを思い出し、わたしも旅に出たくなります。
アフリカもいつか行ってみたい。
2013年再放送時の記録はここに。
coffee-break.hatenablog.jp
日記(4/29 - 5/1) イルファン・カーンのこと
4/29
しなければいけないことはあるけど気分も乗らず、何となくiPhoneにどう森をインストールして、10年ぶりにどうぶつの森へ。
メインの活動がキャンプ場しかなくて、10年前とゲームの内容が結構変わったなーと思ってたら、スマホ版がキャンプバージョンなだけで、自分が10年前にプレーしてたどう森はSwitchへ世界を映していた。
夜にTwitterでイルファン・カーン死去の報を知る。
4/30
NYTにもイルファン・カーンの追悼記事が出た。
www.nytimes.com
5/1
本日は有休。
個人的にイルファンを追悼したくて、アマプラで「その名にちなんで」を視聴。
ジュンパ・ラヒリの小説は読んでいたけど内容は覚えていなかったから、「こんな話だったかな」と思いながら見た。
2000年代中ごろに撮影されたはずなのに、作風が90年代の作品みたいだった。舞台が80~90年代というのはあるけど。
私の一番はなんといっても「めぐり逢わせのお弁当」である。
coffee-break.hatenablog.jp
日記(4/11)
4/11
U-NEXTで「八月のクリスマス」を見る。1998年作品。
やさしさに包まれるような、良い作品だった。人との距離感が心地いい。
八月のクリスマス デジタル・ニューマスター版 スペシャル・コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD]
- 発売日: 2014/08/06
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そして、NHKで再放送してたのを録画してた「井上ひさしのボローニャ日記」も見る。 www4.nhk.or.jp
井上ひさしが動くのを初めて見た。穏やかな優しい感じのおじさん。
彼は取材ノートをこまめにつけてるんだけど、その丸っこい筆跡がかわいらしい。万年筆で無地のノートに書いてる。買い物レシートもパンフレットも挟み込んで、14日の取材後はノートもパンパン。
そしてそのノートを滞在中肌身離さず持ち歩くんだけど、トートの一つでも持っとけばいいのに、彼のノートは小さなビニールバックに仕舞われていて、それを両手で抱きしめるようにして歩く。
ボローニャという街に私も興味を持ったので、コロナが終息したら、本屋にこの本を引き取りに行く。
- 作者:ひさし, 井上
- 発売日: 2010/03/01
- メディア: 文庫
日記(4/9 - 4/10)
4/9
コロナの影響で芝居中止の報が続く。自分が2月末に本多劇場へ観に行った「往転」でもマスクの着用を呼びかけられての観劇だったし、ついにここまで来てしまったという感じがする。
作った芝居を誰にも見せずに終わらせるということは、その芝居を殺すのと同じことだ。我々は苦労して生み出した芝居を世に出さず、育てず、生まれた途端に自分たちで殺してしまった。
www.asahi.com
今日の作業BGM。
くるりをしばらく聞いていなかったけど、こんな曲も作っていたのだな。
MVは私の大好きなウィスット・ポンニミットによるアニメーション。
4/10
4/7に申し込んだceroのライブに当選。
こんな状況だけど、6/27に日比谷に行けることを祈っている。
日記(4/3 - 4/7)
4/3
テレワークもすでに1週間。
昼食を食べながら「徹子の部屋」をダラダラとみる。ゲストはいしだあゆみと和田アキ子。
いしだ「歩いているときは寂しくないんです。」
黒柳「寂しいときがあるの?」
いしだ「……寂しくても歩いてると空っぽになれるんです」
4/4
ユニクロに行くために久しぶりに外出する。自転車で川沿いを走ると桜が満開。さすがにシートを敷いて花見をしている人はいなかったけど、桜を見るためにたくさんの人が川沿いを歩いてた。
4/6
ロシア語教室の前期開講が延期されたとの知らせが先生から届く。
非常事態宣言が出される前から4月の開講は難しいんじゃないかと思っていた。残念だけれど仕方ない。
先生に返信するメールは何度も書き直した。単語の間違いやスペルミスがないように、言葉の使い方を間違えないように。先生が自分のメールを読んで悲しまないように。先生は自分より10歳くらい年下だけど、気持ちはまるで先生の子供。それはたぶんもう一人の生徒さんも一緒。
4/7
テレワークしながら、だらだらとYoutubeでceroの音楽を聴く。
そして「街の報せ」のMVがしみじみと今の自分に沁み入る。
cero / 街の報せ【OFFICIAL MUSIC VIDEO】
少し前は何てことないカットの連続に見えて面白さを感じなかったのに、この「何てことない」風景をたくさん切り取ってつなぎ合わせた映像と「愛しているよ」という歌詞に圧倒的な尊さを見る。
途中に朝鮮学校のカットも差し込まれる。そこに意図があろうとなかろうとどうでもよい。それを「何てことない」風景として差し込んだことはとてつもなく正しい。
唐山大地震(2010年/中国)
1976年に中国の唐山市を襲った大地震によって引き裂かれた家族の物語。
父は地震で亡くなり、姉ファン・ドンは手違いから別の家族に引き取られる。残された母と弟ファン・ダーの二人は地震後の唐山市で暮らす。
家族の在り方とはなんと難しく、歯がゆいのか。
1976年、1986年、1995年、そして2008年と時代を重ねていくが、母、姉、弟の気持ちは微妙にすれ違い続ける。それは姉ファン・ドンを引き取った義父母も同様だ。みんながそれぞれ互いを思っているのに、どうして相手を孤独にしてしまうのか。どうして一緒にいられないのか。
そこには母や義父母から自立しようとするファン・ダー、ファン・ドンのそれぞれの姿と親たちの子離れの姿がある。
登場人物の中で私が強く心を動かされたのは、ファン・ドンの義父。彼はファン・ドンの選択を常に尊重する。彼女を引き取った直後から彼女に寄り添い続けた。彼の大きな愛に包まれていることを自覚しているからこそ、ファン・ドンは家に帰れなかったのだと思う。やっと帰ってきた娘はしかし、新しい夫とカナダへ居を移してしまうが、そのときも彼はきっと温かな笑顔で送ったのだろう。
そして、不器用なファン・ダーの母への愛にも触れたい。彼は彼なりに母を思い、母のためにと思ってしていることが時にから回る。妻よりも母を優先する姿には閉口するが、頑なでどこか入り込めない母を喜ばせるためだと思うと、彼をいじらしく思わずにいられない瞬間もあった。
舞台が2008年に移行しても、1976年以来、離れ離れのままの家族はまだ出会わない。ファン・ドンに唐山の家族を探す意思がないため、このまま家族は再会しないまま終わるのかと思っていた。しかし、ファン・ドンとファン・ダーは四川地震の被災地にそれぞれ救援に入り、そこで再会する。
うまいと思うのはその決定的な場面をこの映画は描かなかったこと。
ファン・ドンとファン・ダーの再会した瞬間は想像にまかされる。出会う直前の次の場面では、ファン・ダーの借りたバスに乗ってファン・ドンは唐山の実家に向かっている。二人に特に会話はない。すでに互いに大人であり、微妙な距離感で会話を交わす。この温度がとてもいい。
実家へ戻ると、母がファン・ドンを出迎える。母は泣く。父とファン・ドンの墓へお参りに行くとファン・ドンも泣く。ファン・ドンの母への誤解が解けて、家族が再び集う場面だが、私の心を揺さぶったのは、やはりファン・ダーである。家にファン・ドンを迎えた際はバタバタと彼女の遺影を外し、墓へ行けば墓穴を開けて、母が彼女へ残したものを見せる。相変わらずのぶっきらぼうな態度で彼が示しているのは、ファン・ドンを歓迎する気持ちと、ずっと変わらずに姉を思い続けた母への敬愛だ。
家族を失くした者、家族と離れざるをえなかった者もつらいが、母のもとに残された彼もきっとつらかった。女二人は泣いたが、ファン・ダーは一度も泣かないし、どこか醒めたところから、彼も間違いなく家族を思っていたことが垣間見えて、わたしは泣きそうになった。